前回の記事
 
 
自分が当たり前だと思って
見ている世界も
実は
他の人からは
全く違うものに見えているかも!
 
という
ちょっと不思議なことを
書いて終わりましたウインク
 
今日は
世界の見え方(認知)について
少しだけ掘り下げてみます
 
私のスピリチュアル入門書
葦原瑞穂さんの『黎明』は
 
第一章は
「世界という幻」
第一節「見えるもの」
第二節「聞こえるもの」
 
という内容で始まります
 
まずここを理解していないと
目には見えない
スピリチュアルな世界が
ただの
おとぎ話やゴシップ
で終わってしまうからです
 
 
最初に
私たちの視覚について
科学的な説明から
始まります
 
 
難しい内容を
かな〜り端折って
まとめると・・・
 
私たち人間は
目に見えてること以外
信用してないことが多いけど
実際は
そんなに見えてないですよー
ってことです
 
視覚で知覚できる範囲は
とても狭いのです
 
そして
 
私たちが
外の世界を
意識している時
 
それは外の世界そのものを
知覚しているわけではなく
 
五感を通して入ってきた情報を
知覚器官の働きと
過去に作られた認識の
影響を受けながら
 
心の中で無意識のうちに
作り上げている表象を
見ています
 
つまり
私たちは
外の世界を見ているようで
実は
自分の心の創作物を
見ているに過ぎない
 
ということです
 
 
だから
同じ空間にいたとしても
誰一人
同じようには見えていない
 
極論を言えば
それぞれの
心象風景を見ているだけ
なのです
 
 
かなり
ザックリまとめると
 
世界は
自分の思い込みで
出来ている
 
とも言えますグラサン
 
 
 
たとえば「学校」
 
ある人には
明るくてキラキラした教室
みんなが笑顔で温かい空間
 
ある人には
まるで色のない平面の絵
みんなが同じ顔で
作り笑いをしている空間
 
ある人には
牢獄のような暗い空間
同級生はゾンビ
 
ある人には
授業中はモノクロで
つまらない空間
部活動中はフルカラーで
楽しくワクワクする空間
 
などなど
 
「学校」という空間も
人によって見え方が
違っています
 
また
同じ人であっても
その時の気分や
エネルギーの状態で
その空間は
毎日違って見えています
 
口には出さないので
みんなが
自分と同じように
見えてる(感じてる)と
思い込んでいますが
 
実は  
個人個人 
一瞬一瞬で
ずいぶんと
認知に違いがあります
 
 
そう考えると
 
かつて学校大好き
学校生活を楽しんだ
親御さんが
 
不登校のお子さんに
 
「学校は楽しいよ」
「学校行ったらどう?」
 
というのは当たり前だし  
 
 
「え?
あんなゾンビだらけのところに
頑張って行けというの?」
 
と学校嫌いのお子さんが
頑なに抵抗するのも当たり前
 
のような気がしますウインク
 
 
自分の見てる世界が
実は
自分だけのものだと意識すると
 
ちょっと引いた目で
他の方の見えてる世界を
想像できますクローバー
 
 
自分の当たり前を
押し付けそうになったり
それを基準に人をジャッジ
しそうになったりしたら
 
世界は
自分の思い込みで
出来ている
 
ということを
思い出すようにしていますウインク
 
 
今日の記事を書いていて
 
3歳の時に自閉症と診断され
10歳くらいまで人の姿が
光の粒子で見えていた
というサアラさんの話を
思い出しました😉
 
長くなるし
かなり不思議な話になるので
また次回書きますクローバー