今年の春、
私は、また妊娠することができた。
桜の開花ニュースと共に、我が家に春がやってきた!
妊娠判定日のホルモン値は、
基準値を、はるかに超えていて、
双子ちゃんかも!と言われたほどでした。
実際には一人でしたが。
出血もなく、胎嚢確認、心拍確認と順調に進み、
さあ、母子手帳をもらいに行こうかと言われた頃、
赤ちゃんは、
静かに、その心臓を止めてしまいました。
稽留流産でした。
診察室で、冷静に話を聞いていたけれど、
実際のところ、あまり理解できず、
一体何が起こったのか分からず、
すぐには現実を受け入れられませんでした。
また、辛かったのが、
赤ちゃんが死んでしまっているのに、
その後も、しばらく、つわりが続いたこと。
つわりがあるのは、赤ちゃんが元気な証拠と思っていたけど、
そうとは限らないんですね。
私の過ごし方が悪かったとか、そういう事は一切関係なく、
恐らく、卵側の異常だそうで、
「あなたの責任じゃないよ。」
と言われたけど、
その卵を作っているのは、私の体なわけで。
私の年齢(当時38歳)の卵子だと、
2つに1つは染色体異常があると思った方が良いらしい。
卵子は、質の良いものから、先に排卵します。
良い卵子は、20代のうちに、おおかた出てしまっています。
私の卵ちゃんも、今頃、出番かい??と、
びっくりしたかも知れません。
頑張ったものの、力尽きてしまったんでしょうね。
やっぱり、可愛そうなことをしてしまった…と、
申し訳ない気持ちになります。
私には、はっきりとした不妊原因があり、
自然妊娠は、ほぼ無理なんですが、
治療による着床率は、今のところ100%です。
もしかしたら、妊娠しやすい体なのかも知れません。
でも、染色体異常で流産してしまうということは、
私の年齢(卵子の老化)が原因ということなんですよ。
こんな事なら、
もっと早くに、もっと若い頃に、
妊娠や出産のことを考えていれば、
私も赤ちゃんも、こんな辛い思いをしなくて済んだかも知れない。
今まで、前向きに頑張ってきたけれど、
初めて、治療を進めるのが怖くなってしまいました。
また流産したらどうしよう…。
いや、今度こそ、着床しなかったらどうしよう…。
どっちも怖くて、もう治療をやめたい…。
とも思いました。
通院の日は、遅くなるので、
あっくんのお迎えは、Akiさんに頼んでいるのですが、
その日は、Akiさんも仕事が長引いていて、
「ごめん!あっくんのお迎え頼む!!」
というメールを、バスの中で見ました。
大急ぎで保育所へ迎えに行くと、
もう、ところどころ電気も消されていて、
残っている子供は、僅か数人。
その中に、あっくんがいて、
私を見るなり、
「ママーーー!!」と、
満面の笑みで飛びついて来ました。
その笑顔を見た瞬間、
涙が、どわーーーっと出て来てしまいました…。
私が、一番辛い時に、
あっくんは笑顔で迎えてくれるなんて、
頑張ってるのは私だけじゃない。
私は、こんな小さな息子に、
いっぱい、いっぱい我慢をさせて、
あっくんの方が、もっと辛い思いをしている。
あっくんの方が、頑張っている。
私は高齢で出産して、
私と歳が離れているAkiさんは、もっと高齢です。
他の親子と比べて、一緒に居られる時間は短いかも知れません。
頼れる親戚も居ないし、このままだと、
あっくんが、一人ぼっちになってしまう。
我が家には、
残してあげられる家もなければ、お金もない。
だから、せめて、きょうだいだけでも作ってあげたいという
気持ちがあります。
きょうだいがいるからって、幸せとは限らないけど、
私が今、頑張れることは、これくらいです。
一人ぼっちになるなら、
そんな不妊治療までして、産んでほしくなかった…。
なんて、思われないように。
私を「お母さん」にしてくれたあっくんに、
私の母を「おばあちゃん」にしてくれたあっくんに、
今度は、あっくんのために頑張りたい。
確かに、高齢での妊娠は難しいけれど、
あっくんは待っていてくれました。
私たち夫婦も待っていたけど、
あっくんだって長い間、待っていてくれた。
だから二人目ちゃんも、
きっと、どこかで出番を待っているんだと思ってます!
不安でも、怖くても、前に進むしかない。
誰かに言われて、させられてるわけじゃなく、
自分で決めたことだから。
二人目ちゃん、
3人で待ってるからね!
あっくんが、お布団を貸してくれるそうですよ~(笑)
早く会えますように。。