9 「 脊椎外科医 」


      脊椎関連病院 * 

 清流が初めて足を踏み入れた研修病院は、周囲から「あそこは脊椎の手術が多い。いい勉強になるぞ」と囁かれていた。実際、腰椎椎間板ヘルニアの手術は日常風景の一部だった。まだMRIが普及する前の話だから、火曜と木曜の朝八時、定刻通りに、ヘルニア手術を待つ患者さんの造影剤検査が始まる。

 ある種の儀式のように患者さんはレントゲン台の上で横たわり、その背骨の隙間から細い針が刺し込まれ造影剤が注入される。体位を変えるたびにレントゲンを撮り、造影剤が描く影の欠落から、ヘルニアの部位と大きさを想像する。そして、最後にCTで「答え合わせ」をする。

 その頃も手術室の空気はいつも少しだけ冷たく、第一助手が術者である川本先生の真向かいに立ち、第二助手が川本先生の横、そして第三助手は第一助手の横に陣取る。ぺーぺー中のぺーぺーだった私は、もちろんその「第三助手」という名の、ほとんど何もしないポジションを拝命していた。ただ、ヘルニアを取り出すクライマックスの瞬間だけは、手術創から10センチほどの深さにある「穴」を覗き込む特権だけが与えられる。

「小林先生、あそこにヘルニアがあるぞ」

先輩医師である第二助手の小林先生に、まずそのチャンスが巡ってくる。小林先生は、その暗い穴に顔を近づけ、小さく頷く。

「あー、見えました。ありがとうございます。」

そして、静かに、私の方へ視線が流れてくる。

「つぎは清流先生」

私の番だ。しかし、半径3センチ、奥行き10センチ。その先に「あるはず」のヘルニアの影は、私の目にはどうしても確認できなかった。もたもたしていると、術者の川本先生の機嫌が悪くなる。

「見えんのか?」

私は正直に告げるしかなかった。

「あ、すみません、見えません」

川本先生は小さく舌打ちしたかもしれない。そして、イラつきを隠さずにヘルニアを取り出す作業を再開した。その瞬間、私はその場の世界から置いていかれたような気分になった。

 

      穴の中のネズミと処世術 *

 後日、小林先生の家で、缶ビールを片手に家飲みをしていた時、私はどうしても気になっていた疑問を静かにぶつけた。

「小林先生、あの時、先生の位置から、本当にあの奥のヘルニアが見えていたんですか?」

ヘルニアを見たことがない私には、自分の目が悪いのか、角度が悪いのか、あるいは見えていても「ヘルニア」という記号として認識できていないのか、ずっと疑問の渦の中にいたのだ。

小林先生は飲みかけのビールを飲み干し、小さく笑った。その笑いには、少しだけ大人の秘密めいた響きがあった。

「あー、あれね。見えないよ」

正直、私は声が出なかった。驚きというよりは、むしろ、ある種の静かな安堵感が体を通り抜けていった。小林先生は、空になったビール缶をテーブルに置き、川本先生の少し大仰なジェスチャーを真似て見せた。

「川本先生ってこんな感じ、『小林先生、見てみろ。暗〜い、穴の奥からネズミが手を振ってるぞ〜』ってね」

彼は私の方を向き、いつもの落ち着いた声に戻った。

「清流。真っ暗な穴の中のネズミが、見えるわけないだろ」

「でも、先生は『見えた』って言われましたよね」

「まあ、見えなくても、見えたと言うのが礼儀だ。それが、この世界の、ある種の『処世術』なんだよ」

 私は昔から、少しばかり素直すぎるところがあった。工学部では、間違った理論や実験手法があれば、遠慮なく指摘しなければ、それはやがて大きなトラブルに発展する。だから、上下関係なく、間違いや疑問を申し出ることが、一種の「礼儀」だった。しかし、同じ「理系」という看板を掲げる医学部には、どうやら、触れてはいけない、あるいは見て見ぬふりをするべき「領域」が存在するらしい。この先、私はその医学部の、古く湿ったしきたりに、たびたび足をすくわれることになるだろうと、その時、ぼんやりと予感した。

 

     温故知新 *

 二年目の研修は、県内最大規模の総合病院で始まった。ここには3-4人の脊椎外科医がおり、県内でも有数の脊椎専門施設だった。そのトップは、将来、大学の教授になるだろうと囁かれるほどの実力者だ。ここでは、研修医が脊椎の手術に入ることは許可されず、私は毎日、外傷・骨折や人工関節骨折の手術という、もっと即物的で血生臭い日常に追われていた。

ある日の午後、手術室の更衣室で、二人の脊椎外科医と一緒になった。一瞬の静寂の後、一人が口を開いた。

「清流、前任地は脊椎の手術が多かったみたいだな」

「ひと月に1520件のヘルニアの手術がありました」

その瞬間、二人の脊椎外科医は、お互いの顔を見合わせた。

「一年間で、『外側ヘルニア』はいくつ経験した?」

「外側ヘルニア」。私の頭の中に、聞き覚えのない単語が、まるで湿った夏の日の羽虫のようにさまよい始めた。

「外側ヘルニアですか? ……」

その一言を発した後、二人の脊椎外科医は、それ以上私に話しかけることなく、静かに部屋を後にした。彼らの背中には、何かを伝えようとする意志、いや、諦めにも似た影が落ちているように見えた。

 医局に戻り、一番年齢の近い上杉先生に尋ねた。上杉先生は脊椎専門ではないが、非常に勉強熱心な人で、自費で購入した整形外科雑誌が本棚にぎっしりと並んでいた。

「上杉先生、さっき石井先生と赤田先生に、前の病院で『外側ヘルニア』は何例経験したか聞かれたのですが、『外側ヘルニア』って何ですか?」

上杉先生は、いつものように冷静に答えてくれた。

「清流先生、『外側ヘルニア』は今、脊椎外科のトピックスだよ。脊髄神経が入っている脊柱管よりも外側にあるヘルニアのことだ」

ピンとこない。ヘルニアの位置が少し違うだけで、そんなにも世界は変わるのだろうか?

「例えば、第4腰椎と第5腰椎の間にある椎間板が脊柱管内に出て刺激する神経は?」

「第5腰椎神経です」

「正解。でも、同じレベルの椎間板が、脊柱管よりも外側で刺激する神経は、第4腰神経なんだよ」

私はまだ、脊椎の三次元的な構造を頭の中に描くことができず、やはり“外側ヘルニア”という概念の輪郭を掴めないでいた。

「症状から責任神経を推測して、通常の造影剤の検査をしても、肝心のヘルニアが無い。だけど、神経根造影をしたら、神経根の走行が違うことで証明できる。手術をしても症状が取れない医療ミスの、大きな原因の一つらしい」

私は勤勉な上杉先生を尊敬するとともに、自分の勉強不足を痛感した。

「前の病院で聞いたことがないのは仕方ないよ。川本先生はもうかなりお歳だから、新しい知識を取り入れるのは難しいかもしれない。石井先生と赤田先生が君に伝えたかったのは、今の脊椎外科があるのは、もちろん先人の努力のお陰だけど、脊椎外科は今この瞬間も、日々進歩しているということじゃないかな?」

「温故知新」という言葉が、遠くのお寺の鐘の音のように、私の心に響いた。

 昔の脊椎の手術は、まさに試行錯誤の連続だったという。神経麻痺で半身不随になる患者が生まれたり、後腹膜を誤って穿孔し外科の先生にリカバリーショットを頼み込んだり、術後数日経って首の傷跡から、なぜか昼食の「ご飯粒」が出てきたり。しかし、その都度、先人たちは手術方法を修正し、今の技術に繋いできた。

来年から専門分野を決める必要がある。その瞬間、私は、その「脊椎外科」という、ネズミが潜む暗闇の中に続く扉を叩く、少しだけ未来の自分を想像した。それは、まだ、とても朧げで、しかし、確実に存在する気配を感じた。 


次回の「忘れられたカルテ 10~ 整形内科医 芥川清流の挑戦」は “  説得の失敗 ” です。