余命3年の前立腺がんとの闘病日記 -104ページ目

世界平和への祈り

私は人類に対して希望があります。それは平和な世界を誕生させる可能性を、人類に気がついてもらうことです。

それこそは、人類の過半数の人に、人間の本当の素晴らしさ。
それはどんな生物も持っていない優しい気持ち、哀の感情があることを気がつかせることです。

それは個人で感じてもらっても、ほとんど効果はありませんが、人類のほとんどの人が気がつき、感じてもらえたのならば、人類は不可能だと思っている平和の可能性に気がついてもらえると確信しているからです。


私の母の、右目が見えなくなりました。
しかし私の母も、もう70歳です。
それこそ体のあらゆる機能が衰えていってもおかしくありません。

しかし問題は私です。私は病気で無職なのです。
一体、両親が死んでしまったら、私はどうやって生きていけばいいのかと、それこそは母、死んでも死にきれないと思っているかもしれません。
しかしだからこそ私は、母に気がついてほしいのです。
それは確かに将来の不安は大きいです。
しかし今、私には夢があるのです。

それは人類に、人間の持つ精神機能、哀の感情、やさしい気持ちを気がつかせることです。
それならば必ず人類に、平和の可能性に気がついてもらうことが可能だと気がついたからです。
それならば必ず人類は、平和な世界を築く、素晴らしい意志、どんな困難でも、平和を誕生させる勇気を抱くことが可能になるからです。


私は訴えたいのです。
それはやさしい気持ち、哀の感情は、決して道徳や倫理ではないことに。
それは誰でも、凄惨な交通事故の現場で、血まみれの被害者をみると、かわいそうという気持ち以上に、目を覆いたくなるような嫌悪感に襲われるのは、その哀の感情が、あまりに激しく感じすぎるからだと。
それはどんな動物でも持っていないことに人類に気がつかせたいのです。
それはどんなにコンピューターが発達しても、人にやさしい気持ちを抱くことは不可能でしょう。
だからこそ人間は素晴らしい、生きていることは素晴らしいと言えるのです。

しかしその理論を、人に気がつかせることは、それ以上に困難です。
それ以上に、人類の過半数の人に気がつかせることは困難です。
しかし私は、どんなに困難でも、人類に平和の可能性を気がつかせたいのです。

だからこそ私は母に気がついてほしいのです。
それは私がどんなに病気がつらくても。病気による差別や偏見が強くても、人類に対して、自分自身に対して、夢や希望が抱くことが可能なのは、母が私を大切に育ててくれたからなのです。
これ以上はないというぐらいに、愛情を注いで育ててくれたからなのです。
だからこそ私は、人にその愛情を返したいという気持ち。
人の痛みを思いやる気持ちが豊富に抱くことが可能になったのだと。
だからこそ私の将来を心配しなくてもいいのです。


確かに私は、この病気で苦しんでいます。
何より無職です。
そして私が何がつらいかといっても、これほどまでに大切に育ててくれた両親に、何の親孝行もできないことです。
しかし私は気がついたのです。
それは私が、生きることを本当に素晴らしいと思う事が。
そして人類にその素晴らしさを気がつかせる夢を抱けることが。そして何よりも、私を生んでくれたことを感謝することが、最大の親孝行だと。

私はだからこそ母に知ってほしいのです。
私は病気に生まれてなにも後悔はしていないのです。

確かに私はこの病気で幸福だとは思いません。しかし不幸だとも思っていないのです。
私はだからこそ戦い続けるのです。
世界平和は決して不可能ではないと。
人間は素晴らしいのだと。
生きることは素晴らしいのだと。
だから私は負けません。