国立近代美術館の特別展『アンチ・アクション 彼女たち,それぞれの応答と挑戦』を見て、その後、『コレクション展』にまわりました。


11月にも、この『コレクション展』を訪れています。

ですから、2度目。




すでに見ているなかで、あらためて、

まずは、日本画。

太田聴雨(1896~1958)の『星をみる女性』(1936)。




着物の柄よりも、まず、望遠鏡をのぞく女性の知的な美しさ。そこに、目をひきつけられました。

戦争画のコーナー。

鈴木誠(1897~1969)の『皇土防衛の軍民防空陣』(1945)。

東京大空襲。

気になったのは、人びとの表情。
というよりも、表情のなさ。



なぜ、画家は、この『表情』を描いたのか。
この『表情』から、描かれた人物の、どのような感情を知ることが出来るのか。

1945年3月10日の東京大空襲。
その翌月の陸軍美術展覧会に出品され。

特に、前方を、一心に見つめる人物。
この人物からは、『言葉』が聞こえて来ないのです。
惨憺たる状況に、『言葉』をなくしてしまったのでしょうか。



そして、
伊原宇三郎(1894~1976)の『特攻隊内地基地を進発す(一)』(1944)

何度も見ています。
このたびに、気にかかるのです。

ひとりだけ、こちらを見つめる少女。

この作品を見るたびに、少女と目があい。
多くの『言葉』を語りかけられ。 

人びとが、熱狂の渦に巻き込まれているなかにあって、ひとり『孤高』 を保っている少女。 
なぜ、少女に、それが出来ているのか?

その眼差しのなかに、現代を生きるわれわれに対する問いかけがあります。

では、少女は、なにを問いかけているのか?
                                     



元永定正(1922~2011)の『作品』(1961)。




吉原治良(1905~1972)の『黒地に白』(1965)。


この作品の前に立つと、
そこに、『禅』の世界がひろがっているように感じます。

そして、『問答』がはじまります。