レッド・ツエッペリン誕生秘話 | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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ハンドメイド・エフェクター・ブランドBOOROCKS(ブロックス)のスタッフによる、音楽(BEATLES & Fender)と映画の気ままなブログ。

 こんにちは、まだまだリハビリ中のJohnです。このブログで、ビートルズに関連する題材を書いていましたが、それ以外の事実に基づいたフィクションを今日はお送りします。楽しんでください。




レッド・ツエッペリン誕生秘話

 ジミーは途方に暮れていた。信頼していたジェフが来ないのだ。ジミーは、バンドの裏方に回ったポールに代わって、ギターからベースに転向したばかりだった。しかし「ジェフがギターを弾くのなら…」と思っていた。その日は、ジェフの代わりにジミーがギターを弾いて、仕事をこなした。「ジェフは無茶苦茶ギターが上手いけど、気まぐれ過ぎてあてにならない。」メンバーの誰もがそう思うようになっていた。そしてメンバーたちは遂に断を下す。「ジェフをクビにして、ジミーを後釜に座らせよう。」メンバーの口からこんな言葉が出るようになっていた。

 バンドを引っ張ることの難しさを感じたジミーはこれから始まる全米ツアーに思いを馳せていた。最も感じていたのは、ボーカルのキースの声だった。軽いのだ。ジミーが欲しかった声ではなかった。加えてキースが望んだのは、ポップ要素の強い曲だった。これもジミーの望むものとかけ離れていた。新しいアルバムではジミーがほとんの曲を作り、彼がプロデュースを担当したが、これまでのバンドに路線とは一線を画するものだった。レコードではもっと重い声が欲しかった。ダブルトラックでごまかした部分も多かった。しかしライブとなるとそうはいかない。粗が目立ってしまう。何とかしなければ。ジミーは焦っていた。

 全米ツアーが始まった。ツアーではジミーの新曲『Dazed And Confused』も含まれていた。この曲では尚更彼の焦燥は増加するのだった。彼の方向性はすでに決まっていた。他のメンバーもそれが自分たちとは相容れないと感じ始めていた。ツアーが終了してロンドンに戻ると、キースをはじめ、メンバー全員が抜けていった。奇しくもジミーが唯一残されたメンバーだった。バンド名を彼が受け継ぐようになった。しかし彼が考えるに、『ヤードバーズ』の名は重すぎて彼の考える方向性とは、相容れないものだった。いっその事、新しいバンドを作りたいとジミーは思った。しかし「ヤードバーズ」としての最後の仕事が残っていた。北欧ツアーだった。

 抜けたメンバーの穴埋めをしなければならない。そこでマネージャーは知り合いのバンド、バンド・オブ・ジョイのドラマー、ジョン・ボーナムに声を掛けた。そして彼が紹介してくれたのは、元メンバーのボーカリスト、ロバート・プラントだった。そして昔ジミーがスタジオ・ミュージシャンだったころの知り合いジョン・ポール・ジョーンズにベースを頼んだ。

 何とかメンバーを集めたジミーは、北欧ツアーのリハーサルで、スタジオに入った。このメンバーで初めて音を出してみた。その時、化学変化が起こったのだ。何かが違う。これだ。これなんだ、俺の欲しかった音は。彼はそう感じていた。彼だけではない。メンバー全員がそう感じていたのだ。新しいバンドが誕生した瞬間だった。ジミーはヤードバーズの名を葬ろうと思った。友人のザ・フーのキース・ムーンに相談したところ、レッド・ツエッペリンという名をもらった。レッド・ツッペリンの誕生だ。しかし北欧のプロモーターは、知れ渡ったヤードバーズの名を使うように希望してきた。ジミーは仕方なく「ニューヤードバーズ」として北欧ツアーを回った。これが事実上のレッド・レッド・ツエッペリンのデビューだった。