エリック・カルメンとラズベリーズ | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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ハンドメイド・エフェクター・ブランドBOOROCKS(ブロックス)のスタッフによる、音楽(BEATLES & Fender)と映画の気ままなブログ。

こんにちは。まだリハビリ中のJohnです。このぺーじでは主にビートルズに関した話を掲載していますが、今回は少しだけ横道に逸れます。


エリック・カルメンとラズベリーズ


 19470年の声を聴くと、様々な『変革』が起こっている。まずは御大ビートルズが解散した。言うまでもなくビートルズはポップ要素を持ったロックの最大勢力だった。彼らの解散によって、ポップは大きく後退したことは確かだ。さら60年代末から泥沼化していたベトナム戦争がアメリカ社会、特にロックの担い手であるベビーブーマーに暗い影を落としていた。これにより、彼らの文化であるロックもポップ要素が消え、シリアスな方向へ向かった。この時期に難局を迎えていたポップバンドは数多い。例えばビーチボーイズ、モンキーズ、バッドフィンガー、ラズベリーズなど多数だ。
 中でもラズベリーズは解散を余儀なくされた。中心メンバーだったエリック・カルメンはソロ・アーティストとして出直し、となったのだ。ポップ路線に危機感を持った彼は、新たにその素材をクラシックに求めた。

 エリックが好んだのはラフマニノフという作曲家だった。まずはラフマニノフのピアノ協奏曲第二番第一楽章からメロディを拝借して、『オール・バイ・マイセルフ』を作った。また同じくラフマニノフの交響曲第三番から『ネバー・ゴナ・フォール・アゲイン』を、そしてショパンのピアノ曲『別れの曲』からメロディを一部頂戴してロックナンバーの『ザッツ・ロックンロール』が作られている。これらの曲は彼のファースト・アルバムに収録されたがシングル・カットされた『オール・バイ・マイセルフ』がヒットして彼の思惑は当たった。

 エリックがソロ・アーティストとして契約していたのは、アリスタ・レーベルだが二枚目以降の成績が振るわず、ゲフィンに移籍するもやはり良い成績を収められなかった。その後映画の主題歌「ハングリー・アイズ」で注目を集めて以来沈黙を保っている。

 かと思ったら、何と2000年以降にラズベリーズの再結成を果たしていたのだ。



これを見てほしい。エリックは昔のまま元気だ。