日本のロック黎明期の記憶(その27)/『大村憲司』(2) | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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私自身が体験してきた日本のロック黎明期の話です。1970年代前半を彩ったバンド、アーティストを紹介しています。これまで紹介してきたジャックス、The M、はっぴいえんど、フライドエッグ、キャロル、四人囃子、サディスティック・ミカ・バンド、カルメン・マキ&OZなどをこれまでご紹介してきましたが、今回も昨日に続いて、日本最初のスーパー・ギタリスト、大村憲司さんの話です。

1973年に赤い鳥を脱退した大村憲司さんは、村上秀一(ポンタ)さんらとエントランスを結成。メンバーは、ギターが憲司さん、ドラムスがポンタさん、ベースが高水健司さんというトリオでした。高水さんは「大仏さん」の愛称で知られる方で、現在でもセッション・ベーシストとして陽水バンドなどでスタジオやライヴに活躍されています。
残念ながらこのバンドは短命に終り、翌年憲司さんはバンブーを結成します。今考えればこのバンブーはスーパー・バンドで、メンバーはギター憲司さん、ドラムスにポンタさん、林立夫さん、ベースにミカバンドの小原礼さん、キーボードは今井裕(後にミカバンドに参加)など、大村憲司プロジェクトといった意味合いが強かったグループでした。このバンブーを発展させた形で、メンバーを固定して1975年に結成されたのがカミーノでした。

このカミーノのメンバーは、ギターに憲司さん、是方博邦氏、ドラムスにポンタさん、ベースが小原礼さんという面子で、日本の初期のフユージョン・バンドと言えるかもしれません。当時はまだ「フユージョン」という言葉は使われていませんでしたが、より判り易く言えばブルース・ロックにファンク色を加えた演奏を聴かせる、実力派バンドでした。

このバンド結成の経緯を少しだけ是方氏から聴いたことがありました。憲司さんは、是方氏の高校の先輩に当たり、神戸に居た是方氏が「お前、ギターを持って東京に出てこい」と憲司さんに言われ、先輩の誘いに乗った是方氏が当時の愛器ストラトと、何とフェンダー・ツインリバーブ・アンプ(無茶苦茶重い!)を苦労して電車に乗せ、上京してきたとのこと。結局、カミーノでは正式なレコーディングが行われなかったのが残念なのですが、近年ライヴの音源が発掘され、CD化されました。それが『Camino Live 1976』と『Deep Inside of Camino』の二枚です。





残念なことに二枚共に廃盤となっていますが、まさに日本ロックの黎明期にファンク・ロックを逸早く取入れたスーパー・バンドがあったことの証であり、1980年代のフュージョン・ブームへと連なるミッシング・リンクの一つであると言えましょう。機会があればぜひ、聴いてみてください。

その後の憲司さんの活躍は、知る人ぞ知るというプロフェッショナルなもので、素晴しい足跡を残されたのですが、長期に亘る過度のアルコール摂取による肝硬変で、1998年に49歳の若さで他界されています。本当に残念です。

日本のロック黎明期の話はまた日を改めて!