日本のロック黎明期の記憶(その16)/『サディスティック・ミカ・バンド』(2) | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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私自身が体験してきた日本のロック黎明期の話です。1970年代前半を彩ったバンドを紹介しています。これまで紹介してきたジャックス、The M、はっぴいえんど、フライドエッグ、キャロル、四人囃子に続いて、今回もサディスティック・ミカ・バンドの話の続きです。

グラム・ロック・テイストの力作であるファースト・アルバムがリリースされたものの、1973年頃のサディスティック・ミカ・バンドは、その立ち位置の難しさに悩まされていたと思います。加藤和彦というビッグ・ネームをフロントに置いていたとは言え、彼がフォーク・クルセダーズで獲得したファンを敢えて切り捨てて、新たなロックという分野に踏み込んだ訳ですが、そのロック・ファンはフォーク出身の加藤氏を認めては居ない、というジレンマに追い込まれていたのです。

しかしこのファースト・アルバム、海の向こうイギリスで話題になっていたのです。このアルバムを聴いたのが、新進プロデューサー、クリス・トーマスでした。トーマスは1968年にビートルズのホワイト・アルバムを、夏休み中のジョージ・マーティンに代わってプロデュースしたのですが、それが最初のキャリアでした。しかしビートルズとの仕事であったことが幸いし、すぐに売れっ子のプロデューサーに名を連ねるようになっています。トーマスは、ミカ・バンドのプロデュース作業に興味を示したのです。

一方、ミカ・バンド側でも変化が見られ始めました。グラム・ロックでスタートしたバンドでしたが、ベースの小原礼による改革が始まっていたのです。小原氏は、加藤氏の興味をR&B方面に向かせようと画策していたのです。その成果の第一弾が、シングル「ハイ・ベイビー」でした。


(サディスティック・ミカ・バンドの2ndシングル「ハイ・ベイビー」)

楽曲的にはモータウンを思わせるような作風ですが、サビの部分には小原氏の意図が見られ、ファンクのテイストが加えられています。ここから一気に日本初のファンク・ロックを演奏するバンドに変身していきます。この時期から、日本国内でもミカ・バンドへの評価は鰻のぼりに上がっていきました。
そして1974年にクリス・トーマスをプロデューサーに迎え、名作アルバム『黒船』が制作されるのです。

この続きはまた明日に。