日本のロック黎明期の記憶(その15)/『サディスティック・ミカ・バンド』(1) | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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私自身が体験してきた日本のロック黎明期の話です。1970年代前半を彩ったバンドを紹介しています。これまで紹介してきたジャックス、The M、はっぴいえんど、フライドエッグ、キャロル、四人囃子に続いて、今回からはサディスティック・ミカ・バンドの話です。

ミカ・バンドは、加藤和彦さんの遊びで始まったバンドでした。1972年にリリースされたデビュー曲の「サイクリング・ブギ」は、完全に一曲だけ遊んでみましたという体でリリースされたものでした。バンド名さえ、プラスティック・オノ・バンドのパロディですからね。メンバーも加藤氏の仲間がセッションに呼ばれました。呼ばれたメンバーは、ギターの高中正義、ドラムスに角田ヒロのフライドエッグ組、そして加藤氏と当時の奥さん加藤ミカという面子でした。その後、1972年末から正式な活動を始めるために改めてメンバーが集められ、高中氏に加えてドラムスに高橋幸宏、ベースに小原礼という固定メンバーとなったのでした。(キーボードの今井裕は、まだサポート扱い。)

当時、加藤氏が凝っていたのがグラム・ロックでした。Tレックス、デヴィッド・ボウイ、そしてデビューしたばかりのロキシー・ミュージックなどのイギリスのアーティストにハマっていた加藤氏は、逸早く日本でグラム・ロックを実践しました。それが結実したのが、ミカ・バンドとしてのデビュー・アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』でした。


(ファースト・アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』)

この時期のミカ・バンドの最大の特徴は、徹底してファッショナブルな最新のブリティッシュ・ロックを追求したところにありました。その楽曲は、グラム・ロックの香りを閉じ込めつつも、日本独自の(と言うよりも、加藤氏独自の)ポップ感覚がちりばめられた、当時の日本では唯一無二の作品となりました。
中でもストレートなロックンロールをハードにアレンジした「ダンス・ハ・スンダ」「解決シルバー・チャイルド」やストーンズ風の「アリエヌ共和国」など、新しいロックの方向性を見せたのですが、残念ながら当時は全く売れませんでした。その最大の理由は、当時の日本のロックは動き出したばかりで、追求されていたのは演奏テクニックとハードでシリアスな楽曲でした。つまりポップは排除の方向に向かっていたのです。当時の日本のロック・ファンは、ポップを追求するのはフォーク・アーティストであり、ロックとは認めないという雰囲気がありました。ですから、ガチガチのロック・ファンは、フォークを毛嫌いする傾向もありました。ということもあり、フォーク畑出身の加藤氏がロックをやる、あるいはグループ・サウンズ出身者がロックをやることを一切認めないという雰囲気を醸し出していたのです。

この続きはまた明日に。