日本のロック黎明期の記憶(その17)/『サディスティック・ミカ・バンド』(3) | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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私自身が体験してきた日本のロック黎明期の話です。1970年代前半を彩ったバンドを紹介しています。これまで紹介してきたジャックス、The M、はっぴいえんど、フライドエッグ、キャロル、四人囃子に続いて、今回もサディスティック・ミカ・バンドの話の続きです。


(ミカ・バンドの歴史的傑作アルバム『黒船』)

1974年、ミカ・バンドは遂にアルバム『黒船』の制作に入ります。当初、このアルバムと並行してもう一枚のアルバムが作られるはずでした。その幻のアルバムは、昭和20年代から30年代の歌謡曲を、ロックにアレンジしてカバーする、というものでした。アルバム・タイトルも『駅前旅館』と決められていました。(このタイトルは、プロコルハルムの名作アルバム『Grand Hotel』をもじったものとも言われていますが、昭和30年代の東宝のコメディ映画のパロディであることは明らかですね。)当時、実際に彼らは「銀座カンカン娘」「憧れのハワイ航路」などのナツメロをロックにアレンジして、ステージでも演奏していたのです。しかしこれらの曲のレコーディングのための許諾を取付けるのが困難を要したため、やむなくこの話はながれてしまいました。

1973年のシングル「ハイ・ベイビー」から、1974年頃のミカ・バンドは、メンバーも精力的に活動に力を注いでいた時期で、これらのアルバムにも入らなかった曲を幾つか残しています。例えばFM東京に出演した際に残したテープには、先の「憧れのハワイ航路」など共に「ロックン・ロール・バンド」という曲も録音しています。歌っているのは小原礼氏ですので、恐らく小原氏が作ったものと思われますが、以前ミカ・バンド再々結成時に高中氏にそのテープを聞かせたところ、覚えていないとのことでした。「小原に聞かせてみようかな」と言っていました。このような未発表曲は、幾つもあったのかもしれません。

ビートルズとのセッションで鍛えられたクリス・トーマスのプロデュース力は驚異的だったようで、その象徴的な出来事が「黒船~嘉永6年6月2日」の出だしのドラムにありました。このドラム、実際には幸宏さんはこのように叩いていないのだそうです。ドラムのソロの中から、必要なところを切り貼りして、あのようなフレーズをトーマスが作り上げたのだそうです。まさにビートルズ・マジックの一端がここで披露されたのです。450時間にも及ぶレコーディング・セッションの末に完成したのが、奇蹟の名盤『黒船』だったという訳です。当時このアルバムを聴いた私たちは、まさか日本でこのようなアルバムが作られるとは思わなかったほどに、本当に驚かされたものでした。

この名作アルバムを仕上げたにも関わらず、直後に中心的なメンバーの一人であったベースの小原礼氏がミカ・バンドを脱退します。その後しばらくの間、ミカ・バンドはベーシスト探しに苦労することになるのですが、その話はまた明日に。