縄文杉について思うこと | ルーベンのブログ

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屋久島の昔登った縄文杉に、大学生か成人後の兄が大学の山岳部メンバーと登って、記念写真を見せてもらったので、見てみた。


縄文杉に近い位置に展望台があり、その展望台の色々な角度からの、兄と山岳部メンバーと縄文杉の写真とか、縄文杉のみの写真で、縄文杉が寂しそうに見えた。


霧が発生していたから、寂しい印象という訳ではない。


『人と実際に触れあいたい、触って一緒に記念撮影して欲しい』と言ってるようにも思えたが…


確かテレビで一瞬だけみた縄文杉の近くの展望台について、根に腰をおろしたり、縄文杉に触ると木とか根が傷むから、環境保護を思う人達の手で、展望台が作られたと、実際に傷ついた根とか枝とかの拡大映像とともに説明があった。


何か自然と人々を切り離して、人々が遠くから、縄文杉を眺めて、良いと言われるより、実際に直接、触れてくれたら、嬉しいと言ってるようにも思えた。


私は縄文杉登山は、1990年代前半に登ったが、当時は今みたいな展望台はなく、縄文杉の根元に皆、腰をおろし、休憩をしたり、写真撮影は順番を守って、縄文杉に片手を触れながら、記念撮影をする人々がいて、私もその中の1人で…


その時の記憶の中の縄文杉は人々が周りで昼食休憩等をしていて、とても輝いてみえた。


縄文杉を思い、根、枝等の痛みから、自然の不快さを感じ取り、ゴミも目立つ状況に、自然保護を考える人々が動いて、展望台ができたと思う。


私にはそれも大事だけど、自然を好き、大事にしたいという気持ちは、実際に触れて、感じ取るものではないかと思う。


自然に対して友達のような感じで思い合うことが、自然環境を良くすることではと思えた。