障害者と健常者の違い | ルーベンのブログ

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私は20才過ぎてから、精神障害と知り、20代半ばより前から、障害者福祉作業所に行き始めた。


障害者として福祉作業所の中で過ごす経験と健常者として同じ健常者と過ごす経験は大きく違うと思ったので、書いていきたい。


一番違うと思ったのは運動会の取り組み方かな。


障害者の福祉作業所の運動会は、室内。


当日に紅白分け。


一致団結力はあまりなく、皆で心を一つにといった感じの運動会には思えなかったから、結構、気が楽だった。


逆に健常者の運動会は、クラスでも同じ色の組でも心を1つにしましょうとなる。


こういうのが難しかった。


勝ち負けはどちらでも良かった。



小学校に通ってる時、クラスの男子が不登校になり、『クラスのその男子に対して、歓迎の気持ちを持って接しましょう。その男子が学校来たら、笑顔で挨拶したり、声をかけるように』と担任の先生が言うから、その男子が学校きた時、私も笑顔で挨拶したら、『気持ち悪い』と言われた。


周りにいるその男子の友達も皆、私を見て、笑ったりしてる。


周りにいる友達は、同じクラスメート。


先生に『皆で歓迎しましょう』と言われてた人たち。


健常者の学級は、何か、その場によって八方美人的な振る舞いをする事を推奨されてるのかな。


つまりは、運動会で皆で心を一つにと言ってるけど、本当はそんな気持ちに無理矢理しなくていいと?


私は昔からあまり勝ち負けが好きではなかったのかも。


そして、皆、同じ意識持ちましょうという声かけされるのも嫌だったのかも。


私は、小学校の不登校の男子に笑顔で挨拶して、『気持ち悪い』と言われて、びっくりはしたけど、この感情が何かうまく理解できなかった。


昔から、何か起きた時、すごく不快になる時とびっくり以外の感情がわからない時がある。


だから、不登校の男子の言葉を気にしないと言えば、今さらでもあるが、気にしない。


他の人は場の状況を掴むのに、私のように長年の時間をかける事なく、すぐに理解できて、先生とかにしっかり、言葉で訴える事ができる。


『先生は、運動会では心を一つに、皆で勝ちましょう!と言って…

今回、クラスに不登校の男子がいるから、その男子が登校したら、笑顔で挨拶とか歓迎しましょうって言ってたから、私は不登校の男子に笑顔で挨拶したのに、その男子は私を気持ち悪いと言ってきた。

正しい事をして、何か悪く言われた。

先生の言う通りした私は悪いの?』


という感じで言うのかな。


健常者は時と場所によって、聞き分けのいい人、平気で嘘ついたり、人をいじめたりするのが上手な人もいたりするなー


障害者は、時と場所によって、聞き分けが良かったりが、どちらかというとしない印象。


障害者との関わりがまだ長くないからこんな言い方かも。


だけど、健常者は社会の決まったルールから、外れた独創的で楽しい発想とか、周りと違う事をしようとはせず、周りと足並みを合わせて、決して、周りと違う事をしようとしない。


資格とかいい大学卒業でも、固定のルールから、逸脱した考え方で周りとずれた事をしない。


何か例挙げるか迷うけど…


うーん、ハローワークにいつもよくこの求人見かけると、誰も求人応募しないのかなと。


求人募集かける企業は、ハローワークに募集してもなかなか、思うような人が集まらなければ、別の求人募集のやり方を試したらいいとも思える(が、そこは自由)。


1つのルールにのっとったやり方がうまくいかなかったら、別のやり方を考えてやる人があまりいないような印象。


1つのやり方以外のやり方を検討しようとしない。


障害者は言うだけは自由に言う(自由すぎかもだけど)印象。


実際にできる事はできたら、やったり、どちらかというと障害ゆえできないという感じにも思える。


何か例を挙げられないから、ちょっと良くないかな。


でも、何か健常者はあまり、自由に考えたりしない印象にも見えるかな。


ここまで、読んで下さった方、ありがとうございます!