日本で観測史上最大の大地震。
自分のいる東京は震度5だったよう。
会社から見える外の景色は、高速道路が紐か何かのように揺れていて、おもちゃのような世界。
揺れている最中を含め、あくまで「死ぬときは死ぬ」と思い、冷静にネットで現状確認と、現場のスタッフの安否確認をする。
慌てて帰宅にかかるスタッフを横目に、のんびり過ごしていると夕方に。
道順が分からないため、自宅が同じ方向のスタッフと、我が家を目指して歩くことに。
お茶したり休憩しながら、歩くこと6時間。
時速5kmという早いペースで帰宅。
同日中に帰宅→お風呂…はガスの復旧方法が分からず断念→就寝。
帰宅途中にも、色々な人から安否確認のメールや電話を頂いた。
週末には何もなかったように起きて、足の激痛とガスが通ってないことで、昨日あった事態を再認識。
友人から教えてもらい、ガス開通、ようやくお風呂。
そして久しぶりにテレビをつけて、あまりの悲惨な情景に目をそむける。
週末は予定通りに、人と会ったりと、あまり普段と変わらない生活。
なんだか、自分がどこにもいない人みたいな感覚。
月曜には、真っ先に逃げた上司からの携帯電話へメール
「自宅で維持して下さい」
「維持ではなくて、待機でしょ!」と一人でメールに突っ込みをして、布団へ戻る(苦笑)
どうやら駅は混乱の真っただ中だったようで、会社閉鎖で混乱した中での通勤を免れる。
その後、幾つかの安否確認メールや、本社の一時的関西移転の連絡に対応。
火曜の時点で、1週間ほど閉鎖が確定し、親からの指令により実家へ。
久しぶりの列車での帰省。
親は、昨年からの心配と今回の心配が積もり積もって、気を使われる。
その上、水や懐中電灯の手配までしてくれた。
うーん、心が痛い。
何よりきつかったのは、帰省中に入った親しくしていた方の悲しい知らせ。
「歳の離れた兄」と呼んでいた人が、地震の悲痛な知らせに胸を痛めつつ、この世を去ってしまった。
ただひたすら、涙が出た。
そんなことはお構いなしとばかり、その間にも余震で被災者は怯え、原発も危機的状況との報道。
あまり知られていないけれど、実家の原発もトラブルを起こしていたらしい。
どちらにしても、危険ではあったよう。
金曜日には、上司ではない人事本部長からの連絡により、翌週の神戸行きが確定。
週末に一旦、東京へ戻り、荷支度をする。
三連休が明け、会社でPCをとってから神戸へ、。
その日は、営業本部長と夕食で現状確認。
翌日には、アジアトップを迎えたりと大忙し。
夜は遠慮したけれど、2人になることが多かったため、色々話せてよかった。
その夜は神戸の兄と食事。
場報交換や人生相談?
一通り仕事を終え、最終日にはグループの社長のご好意でご自宅へお呼ばれ。
様子がおかしいと、ご心配いただいていたよう。
仕事についてのみ語る。
奥様とは深夜まで飲んで、色々話して。
とてもよくしていただき金曜には帰宅。
持っていったスーツケースの破損があって、ころころできないといった、トラブルもありつつ無事帰宅。
東京では、計画停電や原発の恐怖、続く余震と、大変だったよう。
今週は、あくまで自宅待機という形態をとりながらも、
出社指令が出たため、通常業務とはいかないまでも、することだけはある模様。
これからどうなるのだろうか。