また、寝れないモード突入。

色々考えているからなのか。

地震以降というわけではないけれど、本当に計画していたことについて、考えている時間が長い。

もちろん、先週はホテル宿泊等もあって、自宅で寝ていないため落ち着かなかったというのもあるのだろうけど。

いやはや。

せめてもの救いは、前回ほどではなく4~5時間程度は寝れていること。

さて、そろそろ決着つけねば。


ちなみに、今回の地震で上司は一番に逃げた。

この上司に限らずだけれど、本当に危機的状況や負の状況に陥った時こそ、人間の本性というのが垣間見れる、と確信した。

そういうものを、再確認させられたのもあって寝れないのかなぁ~。

色々、あり得ない状態継続中。



記録的規模の大地震から1週間と少し。

大切な人が、地震が原因ではないけれど亡くなられたり、

大切な人の大切な人が、地震に巻き込まれて…

会社はというと、一時的に東京・東北が閉鎖になって、関西へ移動したり。


怒涛のような約2週間。


被災された方、その周りの方に比べて、自分とは。

どうあるべきで、何をすべきなのか。

なにができるのだろうか。


約1週間、考える時間を与えられた感じ。

考えていたこと、計画していたことが延期やキャンセル。

何が正しいのだろうか。


毛利輝元は賤ヶ岳の合戦後、豊臣秀吉を天下人と見定めて、四国攻め・九州の役に武功を挙げ、

周防・長門・安芸・石見・出雲・備後等、120万5000石を治めた。

豊臣秀吉からは、羽柴の姓までも許され、秀吉没前に五大老に任ぜられた。

その後、徳川家康との関ヶ原の戦いで、石田三成によって西軍の総大将とされたが、

吉川広家によって毛利軍は出陣しなかった。

当の吉川広家は、当然のごとく毛利家を慮っての行動に他ならない。


つまりは関ヶ原の戦いの際、本領の安堵・家名存続を黒田長政を通じて約束していたため、動かなかった。

しかしその後、その約束は反故される。


大阪城に留まっていた毛利輝元は、徳川家康の巧妙な言い回しによって大阪城を辞す。

しかし徳川家康は関ヶ原の戦い後、輝元が西軍と関わりないとの広家と長政との約束を無視し、

大坂城で輝元が西軍に関与した書状を多数押収したことから、

輝元は隠居、秀就の所領は周防・長門2ヶ国の37万石に大減封されることとなる。


それから260年あまり後、毛利氏と長門氏とが長州藩となり、江戸幕府を滅ぼす要因となる。

誰が想像しえただろう。

因果応報とはこのとこだろうか。


何世代か後に、知ってか知らずしてか起きた因果応報。


何が正しいのか。

今、身をもってでしても正しく・あるべき様になるよう、対処すべきか。

捨て身か!?

ただ体調も睡眠欲以外で色々支障をきたしているところに、奈何せん。

何が誰にとって、どのようにあるべきで、何が今、私にできるのか。

無駄に回転率が上がっている脳、持て余し中・・・。


それにしても、歴史・時代は巡る。

人というのは、学ばない生き物の最たるものか。

人のこと(他の動物のこと?)言えた話ではないため、ある意味最たるもののうちの一人であることは否めないのかもしれない。

いい加減、今ここでで学ばなければ!?

興味深い。