「いらっしゃいませ〜」
精一杯の笑顔を浮かべながら、入って来るお客さんに向かって声を上げる。
親戚が経営するカフェの手伝いを頼まれて、バイトを始めて数週間。
メニューは頭に入ってきたし、接客にも慣れてきた気はしているけれど、ひとつだけずっと気になっていることがある。
それはこのカフェの制服についてだ。
「だいぶ慣れてきたみたいね、夏希」
「ほんと!?美咲姉ちゃん!」
ランチタイム営業が終わり、奥の部屋で賄いを食べていた時、店長の美咲姉ちゃんが声をかけてくれた。
美咲姉ちゃんは私の母の姉の娘さん。つまり私の従姉妹だ。
「夏希が手伝ってくれるおかげでほんとに助かってるよ〜」
「ちゃんとバイト代もらってるし、気にしないで!……でも、この制服なんとかならない?恥ずかしくて仕方ないんだけど……」
「メイド服のこと?」
このカフェの制服は、黒を基調としたメイド服なのである。
スカートの丈は長いけれど、いかにも女の子って感じの服を着るのは落ち着かない。
普段スカートすらほとんど履かないというのに。
「なんでメイド服なの?メイド喫茶じゃないんだしさ……」
「それは、私がメイド服を着た女の子が好きだからに決まってるでしょ!自分では似合わないから、可愛い子が着てるとこ見たかったの!」
美咲姉ちゃんは可愛い女の子と可愛いものをこれでもかというほど愛している。
「それなら凛華ちゃんに頼めば良かったんじゃないの?もう高校生でしょ?」
「あの子、最近反抗期で口聞いてくれないの……」
凛華ちゃんは美咲姉ちゃんの妹。歳が離れているせいもあって、美咲姉ちゃんがすごく可愛がっていた記憶がある。
長らく会っていないけれど、その間に何かあったのかもしれない。
「まあでも、私は夏希のメイド服姿見れただけで十分幸せよ!」
後ろから抱きつかれ、頭をなでなでされる。
一人っ子なこともあって、美咲姉ちゃんにこうやって可愛がってもらえるのはすごく嬉しかったりする。まあ本人に伝えるつもりはないけれど。
「夏希は今日これから大学だったっけ?」
「うん、4コマに授業あるんだ。あとサークル」
「あれ、夏希って何のサークルに入ってたっけ?」
「弓道サークルだよ」
「ずっと続けてきたのに、部活じゃなくて良かったの?」
「高校で燃え尽きたところあるから、大学では弓道以外もやりたいなと思ってサークルにしたの」
「なるほどね。まあ、夏希が良いなら良いわ。それに、店手伝ってくれるの嬉しいし」
納得したらしい美咲姉ちゃんは、うんうんと首を大きく縦に振った。
ちょうどその時、入口にドアに取り付けたベルがカランカランと鳴った。
もうすぐお昼だしなと思いながら、入口の方へと向かい、「いらっしゃいませ、何名様ですか?」と声を掛ける。
「あ、1人で・・・・・・。あれ、もしかして夏希・・・・・・?」
「え?」
名前を呼ばれると言うことは知り合いかと思い、目の前の客の顔をじっと見る。
「も、もしかして琢磨・・・・・・!?」
前の前に立っていたのは、中高で弓道部で一緒だった稲本琢磨だった。
「一瞬誰か分からなかったわ」
「あ、そう・・・・・・?ま、まあとりあえず席に案内するね」
急いで席に案内し、メニュー表を押しつけると、美咲姉ちゃんのいるところまで戻る。
「あれ、夏希注文聞いた?」
「ごめん、美咲姉ちゃん。今日早く大学行かないと行けないの忘れてて・・・・・・。早上がりしても良い?」
早口でそう言うと、
「あ、もうすぐバイトの子来るし良いよ。気を付けてね」
と返事をもらったので、慌てて店を後にした。
爆速で自転車をこいで大学に着くと、昼休み明けの授業の教室に滑り込むように入った。
「夏希、早かったね。バイトは?」
声がした方に視線を向けると、友達の紗夜がパンを食べながら、私に手を振っていた。
はあはあと荒く息を吐きながら、紗夜の後ろの席に座る。
「何だかしんどそうだけど・・・・・・」
「紗夜!どうしよう・・・・・・」
「え、何が?」
「琢磨に見られた・・・・・・」
「琢磨って中高で一緒だったって言ってた人だっけ・・・・・・?見られたって何を?」
「バイト姿見られちゃった・・・・・・。どうしよう~」
後ろから紗夜に抱き付くと、紗夜は苦しいと言いたげに腕をポンポンと叩いたので、すぐに力を緩めた。
「ごめん・・・・・・。でも、どうしよう紗夜」
「どうしようって言ってもねえ・・・・・・。見られちゃったもんはしょーがなくない?」
「そうだけど・・・・・・。琢磨にだけは見られたくなかったから・・・・・・」
「なんでそんなに嫌なわけ?」
「だって、絶対みんなに言いふらすもん。中高は部活一筋で基本ショートヘアだったから、男扱いされてて、制服も似合わないっていじられてたくらいだし・・・・・・」
いじる人の代表が琢磨だったのだ。きっと今頃みんなに連絡してる頃だろう。
「なるほどね。私の勘だけど、多分そいつ他の奴には連絡しないと思うよ」
「え、何で?」
「うーん、多分としか言えないんだけどね。きっとそいつは夏希のこと好きだから、自分しか知らないことなら、他の奴には言わないと思うってだけなんだけど」
「ん?なんで今の話で琢磨が私のこと好きって話になるの?」
「だって、男は好きな子をいじめるの好きって話聞いたことない?」
「あるけど・・・・・・」
長い付き合いの琢磨に限ってそんなことあるのだろうか。思い返してみても、好かれてるなと感じることをされた覚えはない。記憶の中の琢磨は、常に私をいじって楽しんでいる。
「まあ、とりあえず様子見てみたら?もしそいつが周りに連絡してるなら、夏希に他の奴からも連絡来るはずだし」
「確かにそれはそうだね!・・・・・・とりあえず様子見る」
紗夜はうんうんと頷くと、「食べな」と言って、お昼用に買っていたパンを少し分けてくれたのだった。
・
あれから数日経ったけれど、琢磨からどころか、誰からもバイトについて尋ねる連絡はなく、唯一届いた連絡は、高校で一緒に弓道をやっていた女友達からの、御飯のお誘いくらいである。
誘われたのが、気になっていたカフェだったのと、もしかしたら琢磨がバラしたのではないかという不安もあり、お誘いに乗ることにした。
約束の日に待ち合わせの場所に行くと、すでに彼女は来ており、私を見つけると、ぶんぶんと右腕を振ってくれた。
「待たせちゃってごめん、美羅!」
「大丈夫よ、遅れてないし!さ、中に入ろ~」
彼女-美羅は私の背中を押しながら、店内へと入っていき、案内された席についた。
お互いメニューを眺めて、数分ほど唸った後に注文し、近況を話す流れとなった。
「夏希はどう?大学生活」
「やっと慣れてきたって感じかな。美羅はどう?」
「まあ私は専門学校で、2年しかないけど、毎日が新鮮で楽しいかな」
「いいね~。2年後にはパティシエ?」
「順調にいけばだけど・・・・・・。無事にプロになれたら、食べてくれる?」
「楽しみにしてる!あ、プロになる前の試食係も大歓迎だから!」
「うん!ありがとうね」
そんな話をしていると、頼んだ定食がやって来たので、とりあえず食べ始める。
「そう言えばだけど、最近琢磨と会ってる?」
食事も終盤になってきた頃、急にそんなことを美羅が口にしたため、危うく飲んでいた味噌汁を吹き出してしまいそうになったが、何とか飲みこむことが出来た。
「ゴホッ!・・・・・・なんで急に?」
「いや、琢磨によく夏希のこと聞かれてたんだよね。ほら、私とあいつ家近いでしょ?今でもたまに出くわすんだけど、最近夏希がどうしてるか知ってるかって、毎回聞いてくるのよ」
「・・・・・・何で私のこと聞くんだろ?」
「それは簡単じゃん。夏希のことが気になるからでしょ?」
「いじる対象のことが気になるってこと?」
「えっ!?・・・・・・あのさ、夏希。もしかしてだけど、琢磨の気持ちに気付いてない?」
「琢磨の気持ちって?」
美羅の言いたいことがよく分からずに聞き返すと、はあとため息をつかれてしまった。
「琢磨もガキだけど、夏希は夏希で鈍感というか何というか・・・・・・」
美羅のため息は深くなるばかりで、何となくごめんと口にする。
「まあ、琢磨のガキっぽさは置いておくとして、鈍感なところは夏希の良いところでもあるのよね・・・・・・。私が言って良いことなのか分からないけど、・・・・・・琢磨は夏希のことが好きなのよ」
「え!?美羅もそう思うの?」
「もって誰かに言われたの?」
紗夜にも言われたことを説明すると、「気付かないのは夏希ぐらいかもね」と言われてしまった。
「ちなみにだけど、夏希はあいつのことどう思ってるの?」
「どうって、よくいじってくる友達・・・・・・?」
「うん、話の流れ的にそうよね。まあ、なんか困ることあったら言ってね」
「ありがとうね」
困ることって何だろうと思いながら、美羅にお礼を言った。
この日はデザートも食べた後、解散することになったため、買いたいと思っていた本だけ買って家に帰った。
部屋で買った本を読んでいると、ブーッとスマホが鳴った。
通知を見ると、琢磨からだったので、トークルームを開いてみると、
『俺、明日から同じところでバイトすることになったから、よろしくな』
という内容のメッセージだった。
何がどうなってそういう話になったのかは、聞いてみないと分からないけど、美咲姉ちゃんのことだから、メイドだけじゃなくて、執事も良いじゃんって思ったんだろうなと思いつつ、『よろしく』とうさぎが言っているスタンプだけ送った。
美咲姉ちゃんが琢磨を雇う理由は分かるけど、何で琢磨は働くことにしたんだろうか。
うーんと唸りながら考えていると、ひとつ思いついた。
バイト先が一緒になるということは、顔を合わす機会が増えるということであり、それと同時に私をいじる機会が増えるということでもある。
ということは、間近でいじるためだ!
うん、きっとそうだ。
琢磨が私を好きだなんてことはない。うん、ないない。
自分にそう言い聞かせながら、明日どうなるんだろうと考えながら、ベッドでゴロゴロしたのだった。
実際にはいじるために入ったわけではないことが後に分かるのだけど、それはまた別の話である。
[Fin]