テーマ:大正風物語 | 咲本葉月の小説ブログ

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「また私の負けですね・・・・・・」

 小さなランプが置かれた薄暗い部屋で、目の前に置かれた将棋盤を見ながら、美恵子が悲しそうに呟いた。

「そうですね。・・・・・・しかし上手になりましたね、美恵子さん」

「いえ、まだまだですわ!悟様に1度も勝てていないんですもの!・・・・・・ねぇ、もう1度だけやりましょう?」

「美恵子さんは負けず嫌いですね・・・・・・。では、条件が1つだけあります」

「何でしょう?わたくしにできることであれば良いのですが・・・・・・」

「困った顔をするあなたも可愛いですよ」と悟が言ったら、きっと美恵子は頬を膨らませ、子供っぽく怒るのだろう。

そんなことを思いながら、悟はにっこりと微笑んだ。

「あなたの笛の音を聞かせてくれませんか?勝負が終わってからで良いですから」

「わかりましたわ!それなら得意ですもの」

美恵子は安堵のため息をついた。

結局のところ、また美恵子は負けてしまったが、悟との時間が増えたことを心の中でこっそり喜んでいた。

それは悟も同じだった。

また、美恵子の演奏を聞く口実ができたことに対し、我ながら上手くやったとも思っていた。

「負けてしまったのは悔しいですけど、約束ですものね。吹かせていただきますわ!何の曲にしましょう?」

「それなら、前に聞かせてくれた曲を」

「いいですわ!」

美恵子は横笛に口を当てた後、一度目を閉じ、ふうと息を吐いた。

もう一度開いた時には、さっきのような子供っぽさは少しも残っていなかった。

悟は笛を奏でる時の美恵子の表情が好きだった。

大人っぽく、どこか妖艶で、ずっと眺めていたいとさえ思う。

運良く今日は満月。

外から入る月明かりが美恵子を照らしており、それが美恵子の美しさをより際立たせている。

「悟様、そんなに見つめられては恥ずかしいですわ・・・・・・。演奏に集中できません・・・・・・」

頬を少し赤く染めながら、美恵子は演奏を一度止めて言った。

「あなたが綺麗だなと思って見ていたのですよ」

「悟様は、私のことを褒めすぎなのです・・・・・・。いつも恥ずかしさで何も言えなくなってしまいますわ・・・・・・」

美恵子は、頬を真っ赤に染めながら、両頬に手を当てる。

その様子は可愛かったが、こちらを見ようとしないことを寂しく思い、悟は美恵子の側へと近付いた。

「悟様・・・・・・?」

「美恵子さん、抱きしめてもいいですか?」

さっきよりも真っ赤になった美恵子は、そっと悟の着物の袖を掴んでゆっくりと頷いた。

次の瞬間、宝物に触れるように、優しく抱きとめられる。

いつもこの時に感じる温もりに安心感を覚える。

そっと美恵子が悟の背中に手を回すと、少しだけ悟の腕に力が入った。

「早くもっと一緒に居られるようにしたいですわ・・・・・・。今のようにたまにしか会えないと寂しいですもの・・・・・・」

「私も同じ気持ちです。しかし・・・・・・」

「すみません、私の父のせいで・・・・・・」

「美恵子さんは悪くありません!私がもっと頑張ります。だから、もう少しだけ待ってください。必ず迎えに来ます」

「・・・・・・えぇ、待っていますわ!」

その日は、帰る時間になるまで互いの温もりを感じあっていた。

 ・

 神田美恵子と満島悟は、親の付き合いで連れて行かれたパーティーで知り合った。

 つまらなさそうに壁の近くにいた美恵子を、悟がダンスに誘ったのが出会いである。

「一曲、踊っていただけませんか?」

「わたくし、ダンスは苦手なのです・・・・・・。他にも女性はたくさんいらっしゃるでしょう?」

 差し出された手をちらっとだけ見て、違う方向を見てしまった美恵子に対し、

「私がお教えします。せっかくのパーティーです。ずっとここにいてはつまらないですよ。さあ!」

 そう言って強引に美恵子の手を取って、ダンスフロアへと連れて行ったのだ。

 最初は嫌そうにしていた美恵子だったが、上手ではない美恵子をリードしながら踊ってくれた初めての男性に、好意を抱かずにはいられなかった。

 ダンスが終わった後も、別の場所に移り、お互いのことをたくさん話した。

 普段は自分のことを話さないが、その時は自分のことを知って欲しくて、そして相手のことが知りたくて、一生懸命話をした。

 その日は、父親が美恵子を探している声がしたことにより、お互いに名前を聞くことができずに別れることになってしまった。

 もう一度会いたいと思いながら、連絡を取る手段がなく、どうしようかと悩んでいるうちに数ヶ月が過ぎた。

もう二度と会えないのかと悲しんでいたが、とある貴族のお茶会にて偶然再会した。

 女性から声をかけるのは良くないことだと分かっていながら、悟の姿を見かけたとき、思わず追いかけ引き留めてしまった。

「やっと会えましたね。まさか声をかけていただけるとは思いませんでしたよ」

 目を見開きつつも、どこか嬉しそうに美恵子を見つめつつ言った。

「また会えなくなるのは嫌ですので、はしたないことだと分かってはいたのですが・・・・・・」

「はしたなくなどありませんよ。それに、声をかけていただいたおかげでまたあなたとこうして話すことができているのですから。・・・・・・私の名は満島悟です。あなたの名前を伺ってもよろしいですか?」

「神田美恵子ですわ、悟様」

 2度目の出会いの後、噂にならないよう人目を忍びつつ、2人で会うようになった。

 共通の趣味があるわけではなかったが、お互いが興味のある場所に一緒に行くこともあった。

 何度か会ううちに、もっと一緒にいたいという気持ちがお互い強くなり、結婚を意識するようになった。

そのため、美恵子が機会をうかがい、父親に悟を紹介することにしたのである。

「美恵子には幸せになって欲しいと思っている。だから、美恵子を預けても良いと思える相手でなければ結婚は許さん」

 父にそう言われ、条件を突きつけられた悟は、美恵子と結婚するため、今まで以上に仕事に励みながら、仕事の合間に時間を作って美恵子に会いに来ているのだ。

 とはいえ、いつも会えるのは夜のわずかな時間で、将棋をしたり、美恵子が笛を披露したり、悟がバイオリンを弾いたりしながら、お互いのことを話している。

 美恵子は父親が突きつけた条件を知らないため、何度か父親や悟にさりげなく尋ねてみたが、2人ともはぐらかすように、

「男と男の約束だから」

 と示し合わせたように答えるので、それ以上は何も聞けず、ただ悟が父親に認められる日を待つしかなかった。

 そんな中、悟からデートに誘われた美恵子は、いつもより気合いを入れて準備をし、指定された場所まで向かった。

 その場所は、悟と初めて出会ったパーティー会場だった。

 ドアを開け、中に入ってみると、誰もいなかった。

 懐かしいなと思いながら、1人でダンスを踊り始めたが、元々そんなに上手ではない美恵子は、ヨタヨタと何度も転けそうになってしまう。

「あらら・・・・・・」

 本当に転けそうになってしまったとき、誰かに支えられた。

「踊るときは私と踊って下さい、美恵子さん」

「悟様・・・・・・」

「大丈夫ですか?」

「ええ・・・・・・。あの、悟様。いつから見ておられたのですか?」

「あ、それはですね・・・・・・。美恵子さんが入ってきたところからですね」

 まさか全部見られていたなんて。

 恥ずかしくなった美恵子は、悟から少し離れ、頬に手を当てながらそっぽを向く。

「すぐに声を掛けてくれたら良かったのに・・・・・・」

「声を掛けようと思っていたのですが、踊っている美恵子さんが可愛くてつい・・・・・・」

「もう、恥ずかしいですわ・・・・・・」

 頬に手を当てたまま、にらむような目線を悟にぶつけたが、そんな様子も可愛いなと悟は思ってしまった。

「この場所、覚えてますか?」

「ええ、初めて出会った場所ですもの。懐かしいですわ」

「今日はその出会ってからちょうど1年です。美恵子さん、待たせてしまってすみません。やっとあなたに言うことができます」

 何をだろうと思いながら、美恵子が首を傾げると、悟はその場に跪き、美恵子の手を取った。

「美恵子さん、私と結婚してくれませんか?」

「悟様・・・・・・」

 思いがけない言葉と動作に驚きながらも、ずっと欲しかった言葉に目尻が熱くなる。

「はい・・・・・・。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げ、ゆっくりと上げると、瞳から涙がこぼれ落ちてきた。

 その様子を見ていた悟は、立ち上がってすぐに美恵子を抱きしめた。

 力強くも優しく包み込まれたことで、安心してしまったのか、ポロポロと涙が溢れて止まらなくなってしまった。

 美恵子が泣いている間、悟は優しく背中を撫でていてくれた。

「悟様、こんな時に聞くのもどうかと思うのですが・・・・・・」

 涙が落ち着いてきたとき、美恵子はふと気になっていたことを尋ねるために、悟の顔が見えるように少し離れた。

「何でしょうか?」

「私の父との約束というか、父が言った条件とは何だったのでしょうか?」

「あ、そのことですか・・・・・・」

 そういった歯切れの悪そうな返事をした悟は、どこか恥ずかしそうだった。

「あの、言うのが嫌でしたら良いのです。私は、悟様と結婚できるだけで嬉しいですから・・・・・・」

「嫌というわけではなくてですね・・・・・・。少し恥ずかしいだけというか・・・・・・」

「恥ずかしいことなのですか・・・・・・?」

 どうしても聞きたい美恵子が、何度か聞き返していると、降参とでも言いたげに、悟は両手を挙げた。

「出会ってから1年の間に、仕事で結果を残すこと。そして美恵子さんに愛想を尽かされないこと・・・・・・です」

「あの、父がそんなことを・・・・・・?」

「美恵子さんが本当に私を好いているかどうか確認したいとのことで・・・・・・。実は、ここに来る前にお許しをいただきに行ってきたんですが、愛想を尽かされていないようで何よりだと言われましたよ」

「・・・・・・何だかすみません。父が変なことを・・・・・・」

「いいえ。おかげで美恵子さんの色んなことをこの1年で知ることが出来ました。もちろんこれからも色んな美恵子さんを知っていくつもりですよ」

「それは、私もですわ。もっと色んな悟様が見たいです」

 顔を見合わせながら笑い合った後、悟にエスコートされながら、思い出の地を後にしたのだった。

  ・

 結婚が決まってからは、慌ただしい毎日が過ぎていった。

 忙しい毎日の中身は、結婚式の準備や、2人で暮らすための準備などの必要なことから、寂しがっている父親に構ってあげるといったよく分からないことまで色々であった。

 実際に結婚をし、2人で過ごすようになると、ちょっとしたすれ違いや喧嘩もあるが、美恵子はそんな毎日がとても愛おしく、幸せだと感じるのだ。

 あの日パーティー会場で悟が声を掛けてくれなければ、こうした日々はなかったかもしれない。

 そして、きっとこれからも色んなことがあるだろうけれど、悟とならばどんなことも乗り越えられる気がする。

 そう思いながら、美恵子の膝を枕にして気持ちよさそうに眠っている悟の頬に、そっと優しく口づけたのだった。

 

[Fin]