おはようございます。
本日も晴れましたね
いいお天気です
すがすがしいですね
皆既月食もあるみたいで

さて、
突然ですが、あなたは、
一体感を
味わったことがありますか?

そりゃ、ありますよ?って

では、それは最後に味わったのは
いつ頃のことでしょうか?


例えば、お祭り、体育祭など
身近なところでも色々あります
団体的なことも含めて

そんな時、どうでしたか?

どんな、気持ちっていうか?

わあー、とかなって
盛り上がったとか、


静かな一体感もありそうですね?
コンサートなんかもそうですか?

ワールドカップの応援でも
会場全体が一体になりますよね

こういうのって、何なんでしょう?
いえ、その、一体感
というやつ


例えば
子供が熱を出した
ふうふう、言って真っ赤な顔を
しながら、苦しそうにしている

親として身を切られるような思いで
何とか楽にしてあげようと
色々、手を尽くす

そんなとき
親は子供と一体に
なっているんじゃないでしょうか?

自分が熱を出してもいないのに
まるで、熱を出しているがごとく
いや、それ以上に苦しくなる

TVをみていて
自分の家の子と同じ年頃の
お子さんが、不運にも殺されたり
災害の犠牲になったりすると

苦しくなります
切なくなります
TVのことでも身を切られます



仏教の教えの中に
「慈悲喜捨」じひきしゃ
というのがあります

慈=一緒に幸せになろうとする
悲=悲しみを分かってあげる
喜=一緒に喜ぶ
捨=自分を捨てる





実践しようとすると
悲しむ、喜ぶというのは
自分のことを
喜び、悲しむことではありません

目の前にいる方と
気持ちを同じくすることです

四つの中で一番
やりやすいのは
悲しみを分かち合うことです
辛さを共有するというか

私も、医療の仕事をさせて
いただいて、
「可愛そうに、何とかしてあげたい」
という感情は直ぐ出てきます

しょっちゅう、でてきます
出来るだけのことをしてあげたい
良くなって欲しい
と。

ところが、意外と難しいのは
「喜ぶ」
ことです

これ、女性は特に
難しいんじゃないでしょうか

「嫉妬」しっとというものが
あると思います。
邪魔しちゃって。

例えば
隣の家のお子さんが
難関突破して、有名中学に
合格したとする。すごいことです

でも、心の底から
湧き出るように
「よかったねー、凄いねー」
と、いえる方は少ないんじゃ
ないでしょうか

なぜなら、うちの子はそうじゃないから

しゃくに障るから
みたいに

自分でも気が付いてないし
それを認めれないですよ

なるべく顔が引きつらないように
「おめでとう」ぐらいは
いいます。普通レベルでは。
口と、腹が違いますけど

いや、悲しみより
喜びの共有のほうが
難しい、って話ですよ

ついでに、慈悲喜捨を
説明しますと
私の場合でいいますと

目の前の、病気の患者さんを
みて、
「可愛そうにと思う」・・・悲

「何とかしてあげたいと
いろいろ手を尽くす」・・・慈

そして良くなったとき
「良かったね、とこころから喜ぶ」
・・・喜

「先生は凄いですね、天才だね」
と、もしもいわれても
決して自惚れないで自制する・・・捨


最後の「捨」捨てる、
これは
1、 自分の善意を恩として相手に求めない
2、 他人の自分に対してのアダ、を捨てる
が普通の解釈です

でも、一番難しいのは
実は、どこにも書いてありませんが
褒められたときに、自惚(うぬぼれ)ない
ことです。慢心を捨てる。


話は、元に戻りますが
一体感になろうと意識しながら
そう簡単には
なれるものでもないですよね

気が付いたら、なっている
というか

そして、それを
不幸だとは、思わないですよね
一体感の状態を

むしろ、充実感があるというか

結局、幸せなんだと思います

一体感が幸せだということを
実は、本心が気が付いていて
知らず知らずに
求めている
というか



「こころの幸せ」
といいますか

お金が1円もかからない
幸せですね


魂レベルの幸せは

・調和、共生すること
・正直なこと(オープン)
・創造による進歩(後退しない)
そして、
・一体になること

でしょうか

魂の喜びですから
他人にむさぼるように
求めることはありません

そして、どれも、これも、
自分にしがみついて
自分に執着していては
得られないことばかりです

自分の都合を
捨てたり、と。
得られるまでは
多少なりとも
窮屈であることは
間違いありません