業務と異性への鬱憤は新薬を使い…日活ロマンポルノ「透明人間」志麻いずみ/宮井えりな | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

●当記事は本日午前中及び昼過ぎに投稿を行ったものの二度共不適切記事との判断に至り非公開となった為、一度目は全面削除の上で再更新、二度目は作品題目の一部削除及び文面の一部変更の上で再々更新しています。一度目の投稿記事についてはいいねを頂戴していたにもかかわらずこの様な形となってしまった事をお詫び致します。尚、本来の題目に関しては日活直営の作品紹介サイト等々で確認下さいます様お願い致します。又、無事公開された為重複しますが此方の記事も残します。

 

 

皆様、こんにちは。

 

 

昨日の20時に勤務を終え月曜日11時の始業時迄の休みですが、曇り空の雨模様で肌寒いです。今月の業務は比較的落ち着いて推移して行く予定ですがその通りになった試しが無い為果たしてどうなるか…でも週の締日に定時で業務が終了出来ると僅かながらも時間に余裕が出来ていいものです。

 

 

さて本日は此方の作品を…VHS化はされていますが未DVD化作品でU-NEXT(見放題対象作品)/FANZA動画/Amazonプライムビデオ内に内に於いて有料動画配信が行われています。

 

 

「透明人間」昭和53年12月28日公開・桂千穂脚本・林功監督・日活制作。

 

 

 

 

 

大学の研究室に勤務する佐藤輝昭は定年退職直前の教授と共に透明人間に変身可能な薬を開発した上に置き土産として薬そのものと研究論文を貰いました。実は佐藤さんは家庭内では女房で喫茶店を営む志麻いずみに頭が上がらず同居する志麻さんの実妹のマリア茉莉の優しさに助けられている有様…そして大学では後任教授で米国から帰国した宮井えりなから赴任当日に解雇を言い渡された上に研究論文を横取りされ更には志麻さんに好意を抱いた事から「自らを取り巻く女傑への恨みを晴らし、心優しいマリアさんの初体験を奪う為」に透明人間になれる薬を悪用します。その「恨み晴らし」の範囲は実生活上を飛び越え、テレビに出演していた元・貴女で金に物を言わせて酒場を開いた飛鳥裕子に迄伸び…

 

 

お気付きになられた方々も多いと思いますが、同年9月初旬に発売されたピンクレディーの楽曲「透明人間」の大ヒットに肖って制作された事は明白である上に、ピンクレディーを模倣した「ピンクベビィー(メイとフウ)」を登場させ振付師及びファンと情交をする場面も!今では同様・類似の描写も無ければ人気者を模倣した役柄もそれ等の情交等々を描く事も有りませんし、この様な行為を行えば模倣された当人及び関係者ばかりかファンと娯楽を知らない融通の効かぬ正義と潔癖を信条と称する世間知らずが馬鹿騒ぎ!更には当人達の痴話が事実・虚偽不問で取り上げられるだけで吊し上げに遭う嫌な時代…人気と実力が認められているからこそ様々な箇所で模倣されるのですし、その模倣も徹底されていれば口を挟まれるどころか応援されるものという事実を現代は過去から学び元に戻す方向に行くべき!そして「アイドルだろうが二枚目だろうが生身の人間…飲酒喫煙もしたくなれば情交もしたくなるのが自然!」なのですから大騒ぎする代物ではないと俺は思います。

 

 

少々脱線してしまいましたが、当作品は公開時期から「一年間の嫌な事を大笑いして吹き飛ばし、微力ながらも新年の活力にして頂ければ…」と、当時年末年始公開番組の王道となっていた東映「トラック野郎シリーズ」松竹「男はつらいよシリーズ」に日活ロマンポルノらしさ対抗したと言ってもいいでしょう(毎年年末年始及び夏期休暇期間には日活では同様の作品が公開されていた傾向はありますがその一つ)。そして「ポルノ(ピンク)と透明人間の組み合わせ」は確かに相性良し!過去も現在もこれからもも、特定の女性に辛酸を舐めさせられた経験のある男性は俺を含め様々な妄想を描く方々も少なくは無い筈…余談ですが、女性向けには「女傑として男性を手玉に取る」等々の「女性の鬱憤を張らず一般作品」がきちんと存在し均衡は取られていましたからその点でもいい時代だってと言えるでしょう。透明人間に変身してもドジを踏み続ける佐藤さんの台詞芝居も楽しければ「透明人間がゴムを装着したまま街を歩く姿=ゴムのみが浮遊する場面描写」はそれを更に盛り上げる面白さがありました。

 

 

「尺が丁度良く(50~100分前後)何も考えずに鑑賞・大笑い出来て、一切内容を思い出せなくても「あの作品は面白かった」と言えるのが娯楽作品の王道」とよく言われますが「透明人間」もその一つと思います。近年は文芸大作や似非感動作品等々が高評価・高人気を得る傾向が強く俺は行った事がありませんが「午前十時の映画祭」で取り上げられる作品もそんな傾向を感じます(私感ですが現代の映画館は極一部の館を除き、他人に迷惑をかけているとは言えぬ素直な感情表現(笑う等々)が完全に拒絶される等々堅苦しすぎる上に居住地の秋田や郷里の盛岡には堅苦しい館しか存在していませんし「午前十時の映画祭」の娯楽完全軽視又は完全無視としか言えぬ選択作品の傾向が気に入らない為)。しかし本来は馬鹿馬鹿しさに真摯に向き合える関係者こそが観客目線に最も寄り添っており、真面目な作品でも本領を発揮する実力を秘めている事実を過去の主張の繰り返しとはなりますがもっと知って欲しいですし、過去の作品を公開・放映する決定権を持たれる方々にもその思考を持って貰いたいと願うばかりです。