皆様、こんばんは。
休み二日目の夜中ですが、遅く寝て昼間に起床し来週の勤務の為に時間調整をしています。因みに今週は従来通り13時出勤ですが、翌週のみ夜勤(18時出勤)の予定です。
さて本日は此方の作品を…冷気で冷めた身体を更に冷やしてしまう様で本当ならば冬季よりも夏季に鑑賞する方がいいのでしょうね、この類は!
「怪談・蛇女」昭和43年7月12日公開・神波史男/中川信夫の共同脚本・中川信夫監督・東映東京制作。
VHS/DVD化作品で、有料動画配信はTSUTAYA TVに加え、今月よりAmazonプライムビデオ(JUNKFILM by TOEI対象作品)でも開始されました。
あの「新東宝末期の大傑作」である「地獄」を手掛けられた中川監督の作品ですから自ずと期待度は高まります。
明治初期の北陸地方の寒村…この地にはまだこの頃の文明開化はまだ訪れておらず徳川幕府時代の名残がまだ色濃く残っていた上に、河津清三郎/根岸明美夫妻と実子の山城新伍・筆頭番頭格の室田日出男で構成されたこの地の名家から土地を借り百姓を営む者、この一家が営む機織工場に勤める女工達ばかりかつ、借金をしている者も多数!
或る日、小作農の西村晃は河津さんが乗る馬車を追っ掛け「債務履行と借地契約解除の延長」を申し出たもののけんもほろろにされた上に怪我をさせられ、これが原因で数日後に恨み言を言い残し絶命します。これに対し河津さんは「女房の月丘千秋は一家の雑用係として、実娘の桑原幸子は機織工場の女工として働き、寝食は与えるが向う数年間の手間賃全額を西村さんの債務弁済として充当する」と一方的に決め、月丘さん・桑原さん親子には地獄の様な毎日が始まります。一応、桑原さんの女工仲間である高毬子・河津さんの一家に古くから遣える雑用係の佐山俊二・桑原さんと将来を誓い合っていたこの村の青年である村井国男が精神面を支えてはいましたが…
その後はこの類の作品のお約束とも言える流れとなり(しかも河津さん・新伍ちゃん共に好色家で周囲の目を盗んでは身体を奪おうと画策をするのですから始末が悪い)結果は月丘さんは怪我が起因となり絶命、両親を失った桑原さんは生きる意欲を無くし月丘さんの霊に引き擦り込まれる様に井戸へ身を投げ自決、更には村井さん迄が新伍ちゃんの祝言の日に名家襲撃を図り逃走途中に断崖絶壁から転落死!
しかしそれは同時に「名家の破滅の始まり」となり、それ迄も西村さんの霊に河津さんは苦しめられていましたが、一家壊滅後はその苦悩が根岸さん・新伍ちゃん、そしてこの事件後嫁入りした賀川雪絵(現・賀川ゆき絵)にも降りかかります。しかも、西村さんの自宅解体時にひょろりと出て来たり、月丘さんが室田の日出さんの手から命を守ろうとした蛇の鱗が一緒に付いて回り…
「霊が恨みを果たし、様々な信頼関係や愛で結ばれていた現生の人間を守る物語」は幾らでも存在しますが「一家どころか将来を誓い合った相手迄引き擦り込み、全員で名家を全滅させ三途の川へ導いた物語」は俺の記憶の中では観た事が無く、新鮮であった上に何事も徹底的に描く作品がより好みである為私感ではありますが大傑作と思いました。
しかも「もし霊が来るのであれば桑原さんの様な美女」が勿論いいのですが、映像作品として楽しむならばやはり西村さんの霊は何としても観たくなりますしその期待に見事に応えてくれる不気味さ!同じく東映東京が制作した「散歩する霊柩車」「怪談せむし男」等々でも感じましたが、幽霊も含め西村さんにはこの様な一癖も二癖も在る役が似合い過ぎる程似合っています!この後、松竹制作のテレビドラマ「天知茂の美女シリーズ」で壁に白塗りをした顔を突っ込んだ芝居を見事に熟しただけの事はある名演かつ名優!
名家の面々も先述した通り「河津さん・根岸さん・新伍ちゃん・室田の日出さんと、恨みを持たれ霊に右往左往しながらも権力を力尽くでも保持しようとする一家の顔触れ」としては文句無し!「そのとばっちりを受けるのが賀川さん・この一家の腐れ振りを観て見ぬ振りをしているのかどうかがはっきりしない酒宴好きの馬鹿村長の伴淳三郎・一家に何かしらの落ち度・疑念が在ると見抜き自ら河津さんを聴取した警察署長の丹波哲郎・巫女は似合い過ぎとも言える谷本小夜子」と云う配役も中々のモノ!そして東映制作のテレビドラマ「プレイガール」のファンの方々には「桑原さん・高さんの共演と当作品での間柄」も気になる点ではないかと思います。
そして当作品は「怪談」と題目に表記されていながらも、過去も現在も(残念ではありますが今後も一定の割合で残って行くのでしょうが)舞台となった北陸地方、俺の居住する東北地方に限らず全国の一部地域に色濃く残る「名家・本家等々が保持する行き過ぎた権威及び権力と、これ等に対する周囲の行き過ぎた依存及び消極性の弊害」に対する問題提起も或る程度為されていると感じました。
これは当時の東映に限らず他社の映像作品にも言える点ですが「様々な娯楽映像作品の表現方法を通して様々な社会問題等々を観る側に気付かせ考えさせていた」のも美点。これにより或る程度社会の秩序が守られていたり「人の振り見て我が振り直せ」の意識が常に持たれていた事で、現在の様な「余りにも行き過ぎた重箱の隅を楊枝で穿る行為」も抑制されていたのではないかと思う程。
例えば、現在であれば森喜朗・元内閣総理大臣の発言問題となるでしょうが、幾ら森元首相が過去にも物議を醸した発言をしているとは云え、先述の「人の振り見て我が振り直せ」の意識を持っていれば、多少に関わらず我が国民の殆どは「自分にも経験が在る事」と気付き大事とはならなかっただろうと思います。寧ろ問題視すべきは、報道機関が興味本位で森元首相の過去を掘り起こした上で更なる悪意を植え付けようとする報道を行い「自分は他人に対し生まれてこの方一度も後ろめたい行為・言動等々を一度もした事が無い正義感・正論主義者」と勘違いした古き良き日本人の美徳を完全否定している人間の心を持たぬ(又は持っていたとしても非常に薄っぺらい)偽善者連中が、相手が政治家である上に追い風を受けたとばかりに揚げ足を取り大騒ぎし消火不能の状態となっている事だと考えます。