宍戸錠・近藤宏が輪を掛けた大馬鹿に徹する!日活「ハレンチ学園・身体検査の巻」丹野雄二監督 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、こんばんは。

 

 

本日13時の勤務開始に備えて夜更かし中です。結局今週末も買い物以外を部屋で過ごす事となりました。そして今後の冷え込みに備えて一昨日は「暖房の準備をした」と書きましたが、気圧配置の関係で昨日の日中は少々陽気が戻り窓を開けて過ごしました。

 

 

 

さて「学生時代に教諭が女子生徒の体を触り、その場は教諭個人の冗談を含む一過性の性的揶揄と思ったが、後で隠れて泣いている女子生徒を目の当たりにし、その目撃談を元にデフォルメして作品を描いたと云う経緯であって、糾弾に迄至った事に困惑していた」と言われている「ハレンチ学園」の原作者・永井豪。事実「大手新聞社が流行に乗り記載した記事の内容は紹介と作品擁護」「テレビドラマ版の予告担当等々を務めた教育評論家の「ガバゴン先生」こと阿部進が全面的に擁護」「警察関係者の意見も「大した事は無い」という見解」で、関係先には応援の言葉も多く寄せられましたが、それでも現場の教育関係者達やPTA関係機関及び関係者が糾弾を止めなかったのは「余りに理想の教師像からかけ離れた教師達の描写を問題視し、また教師と云う権威をからかったのが怒りを買ったからなのでは?」と推測をしていた模様です(以上ウィキペディアより一部を抜粋しました)。この話を元に考えると「十兵衛=柳生みつ子は永井先生が目撃した女生徒をモデルに泣き寝入りしない人物としてデフォルメしたキャラクターで、親分=山岸八十八は永井先生の主張を代弁させる為の分身」と受け止める事も出来そう。

 

 

漫画作品では「侵略戦争・利権戦争を生み出すのは醜い人間の欲望と偏った思想そのものであると云う意思を、当時の教育制度に対する痛烈な皮肉に乗せて永井先生は描いた」そうですが(原作漫画を読んだ時にはこの様な事は微塵も感じませんでしたが若年層期でしたから仕方が無い…これを頭に入れて再読すればもっと面白く見られそうです)映像化作品では劇場公開作品版・テレビドラマ版ともにそうはならず「カラッとした笑いと色気を交えた、娯楽映像作品の神髄をよく解っている楽しい作品」「当時は経営状態が更に悪化していた日活の救世主」「現在に於いても全ての制作番組で視聴率ランク第二位となっている上に、当時地方系列局を持っていなかった東京12ch(現・テレビ東京)にとって「プレイガール」「大江戸捜査網」等々と共に地方局に自信を持って売り込める飯の種」等々となりました。

 

 

そして、初作品の大ヒットを受けて矢継ぎ早に制作・公開された「ハレンチ学園シリーズ」の第二弾が此方…

 

 

 

「ハレンチ学園・身体検査の巻」(「ハレンチ学園シリーズ」第二弾)昭和45年8月1日公開・山崎巌/鴨井達比古の共同脚本・丹野雄二監督・日活制作・ダイニチ映配配給。

 

 

VHS/DVD化作品でU-NEXT/DMM.com/ビデオマーケット/Amazonプライムビデオ(Amazonプライム会員特典対象作品)/YouTubeムービー内に於いて有料動画配信が行われています。

 

 

 

 

 

授業料を納付する気の無い生徒と保護者の為に法人消滅の危機に瀕していた聖ハレンチ学園の教員達は「経営資金の美語に裏打ちされた自分達の給与を得る為」に女生徒の写真を隠し撮りしそれを売買しようと画策し、男子生徒を追い出して身体検査を目論見ましたが「山岸の機転」「大日本帝国男児の再生教育を主張する丸ゴシ先生・近藤宏に学園を追放された、アメリカンスピリッツ男児育成を主張するマカロニ先生・宍戸錠の活躍」により近藤さんは警察に逮捕・勾留されエースのジョーが学園を牛耳る事となります。

 

 

しかしそうはなってもオカマ言葉を発する「ヒゲゴジラ」高松しげおや(ヒゲゴジラの本名は漫画作品内では「吉永さゆり」となっていますが映像作品では「吉永百合夫」。これは日活への配慮でしょうね。しかし「ボンクラ野郎」としては映像化作品でも「吉永さゆり」で通して貰いたかったです。徹底的に吉永小百合を揶揄すれば日活・吉永さんご本人・ファンの方々全てが絶対に認めたでしょうし、もし制作が東映なら絶対に遣りましたよ、岡田茂・前東映名誉会長の鶴の一声で!)や「パラソル」林家こん平等々がジョーに付いて来たかと言えば「風見鶏」ですから不安定…そんな時、フランス・パリの教会から学園の実態を調査する為の視察団が来日する事となり、補助金を私的に流用してしまった教員達は甘い餌で生徒達を釣り「手打ち式及び親子固めの盃事」を経て休戦し「補助金の使途調査の回避と追加補助金獲得」に乗り出したのですが…

 

 

 

 

 

 

考えてみたら日活の路線変更後に東映を主戦場とし東映京都制作の大傑作「恐怖女子高校・暴行リンチ教室」の脚本を単独執筆された鴨井先生が関わった脚本ですから面白い筈です!「ハレンチ学園を下地として、当時の東映看板作品群に匹敵するバイオレンス性を強調すれば恐怖女子高校になるのかなぁ」とも考えた程。

 

 

 

 

 

「聖ハレンチ学園第一回卒業生(テレビドラマ版「ハレンチ学園」内の台詞より)の用務員・左卜全が飄々としながらも生徒達の強い味方となっている人間関係の面白さ」(今回は中盤の盃事の仲裁人をも務めておられます。尚、卜全さんはエースのジョーと共に「劇場公開作品版」全四作品と「テレビドラマ版」に出演された俳優です。この時点で最晩年でしたが(昭和46年5月逝去)剣豪俳優の嵐寛寿郎が「網走番外地」の鬼寅親分を代表的な役柄として自認したのと同様の思いを卜全さんは「ハレンチ学園」に抱いていたものと推測します)「生徒が主導権を握り、教員達を虐め困らせる事が我が子の成長を捉えている親達の感覚」「劣等生を理由を付けて追い出し優等生を入学させ法人再建を目論む教員達」(しかし「学園名が学園名」ですし悪名は世間に浸透し過ぎていますから全くの打算!しかしそれを真剣に足りない脳ミソで考えているから物語が面白くなっています)「西洋尼=シスターかと思いきや腕を見込まれ送られたヤサグレで啖呵を切る真理アンヌ・宮川知子」「インチキ外国語を並べ立て、死体を重ねるのが得意な助平医者・藤村有弘、突如登場する月亭可朝、女装姿の榎木兵衛」「イエス・キリストの剥製とばかりに十字架に吊り下げられるヒゲゴジラの高松さん」「初作品に引き続き主演を務めコメディエンヌとしての更なる開花を見せた児島美ゆき(一部文献・作品情報等々では「児島みゆき」名義の場合が在ります)と、後に「Gメン75」田口刑事役が代名詞となった千葉裕の相性の良さ」等々、物語の整合性や感情描写等々を問う類ではなく、東映東京制作「不良番長シリーズ」の様に「出演者全員によるスタンドプレー大会の趣で楽しむのが一番の醍醐味」と感じます。

 

 

その出演者の中でも宍戸錠・近藤宏の大馬鹿ぶりは抜きん出ており、二役のエースのジョーは「昔は石原裕次郎に殴られ小林旭に殺された!の台詞が飛び出す!」「オカマ言葉を甲高い声で発する!」「意味不明・支離滅裂の台詞の羅列」そして近藤さんは他作品でも愛嬌を見せる事は既に在りましたが、赤い前掛け一丁で空回りの傲慢さをこれでもかと珍紛漢紛な台詞を交えて見せ、遂には「事実誤認による女子生徒拉致監禁事件の際に「低級品をより高くの丸越デパート!ブスな店員が不愛想で皆様のお越しをお待ち致しております!」と声高らかに宣伝する始末!」に至り…エースのジョーは当時「ゲバゲバ90分」に出演していた事も在り当時の観客もすんなりと受け入れられたでしょうが、近藤さんは当作品公開当時日活が主戦場とは云え、東映作品では善悪を問わぬ活躍を見せたり、関根恵子(現・高橋惠子)の主演作品である大映最末期の「成熟」では関根さんの父親役として親らしい芝居も見せていただけにこの弾けぶりは度肝を抜いたものと思います(同じ役を劇場公開作品版では小松方正・世志凡太が、テレビドラマ版では井上昭文が演じましたが全く引けを取らぬどころか「丸ゴシ役では一番良かった」と感じました)。

 

 

 

 

 

 

「ヒゲゴジラの高松さんが激辛カレーを生徒に食べさせられた上に下剤入りの水を飲まされトイレに駆け込むが先客が居たり使用不能だったりと悶絶する描写」が中盤に存在していますが、面白可笑しく描いて遣ってはいけない事を教えていたのは昭和期の作品の美点の一つ…今年?去年?失念しましたが発覚した「学校内に於ける教員虐めの案件」も発生要因は多岐に渡るとは云え「家族・地域・学校等々が教えてはくれない物事を様々な媒体が教えてくれる環境下であったなら発生しなかったか発生しても大事になる前に解決に至っていたのでは?」と思いますし、阿部先生が当作品を擁護した理由は「時代を問わず子供であれば誰もが経験したり思い描いた正常な成長過程の延長戦に在る作品」かつ「教えてはくれない物事を楽しく教えてくれる側面が在ったから」と感じます。

 

 

そして、コロナ禍が全く落ち着く様子を見せず、世の中も混沌としている現在…芸術性・整合性・善良性・現代感覚の高質感や清涼感等々が評価され多くの方々に鑑賞されている現状です。勿論それは個人の嗜好・選択等々の自由が在りますから結構ですが、この現状化だからこそ当作品の様なカラッと笑えて楽しめてスカッとさせる娯楽の神髄と言える作品群(加えて同じ方向性とも言える仁侠映画やヤクザ映画に代表されるアウトロー作品・アクション作品・時代劇・ピンク映画・ポルノ映画)にも是非目を向けて頂きたいと云うのが俺の本音です。