井上梅次原作を舛田利雄監督が再映像化!日活「渡哲也の嵐を呼ぶ男」芦川いずみ/藤竜也 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、こんばんは。

 

 

明日は6時半の待ち合わせで先日書いた通り、前職の先輩の引っ越しの手伝いですので代わりに二本目の記事を更新します。望んでいた通り降雨に見舞われる心配は無い模様でほっとしています。

 

 

 

さて本日も簡単に…昨日は起床と同時に、動画配信を探していたら先日四十九日を迎えられた渡哲也の主演作品で「観てみたいなぁ…」と思う作品を発見し、眠気が一挙に吹っ飛びました!

 

 

 

「渡哲也の嵐を呼ぶ男」(正式題目は「嵐を呼ぶ男」1966年版)昭和41年12月10日公開・井上梅次原作・池上金男脚色・舛田利雄監督・日活制作。

 

 

VHS/DVD化作品で、Amazonプライムビデオ(プライム会員特典対象作品)内において有料動画配信が行われています。

 

 

 

 

 

皆様ご存じの通り「嵐を呼ぶ男」は渡社長が命を捧げた石原裕次郎の大ヒット作品であるだけではなく(此方は井上梅次監督)昭和58年には東宝が近藤真彦を主演に迎え制作された事も(東宝版は未見ですが、諸般の事情から「裕次郎版」の井上監督が登板する予定であったのが「渡版」の舛田監督に交代となったとか…)。「裕次郎版」とは「渡社長の実弟役の藤竜也の職業がカーレーサー」「渡社長・フジタツの兄貴の実父役として宇野重吉が出演」「渡社長・山田真二のドラム対決の描写や主題歌「嵐を呼ぶ男」の伴奏中の台詞が違っている」等々の差異は在るものの、大まかな内容は変わりません。

 

 

当時の日活関係者の中には「時代が変わり、裕さんの様なキャラクターは受け入れられ難くなった」と言っていた方も居られたと何処かで読み聞きした事が在りますが、それを裏付け、かつ荒削りの魅力とでも言えばいいのか…俺は「裕さんよりも渡社長の嵐を呼ぶ男」の方が好きです。「実母の山岡久乃とは対立しながらも実弟のフジタツの兄貴に常に目を向け、危機が迫れば命の危険を顧みず立ちはだかる男気溢れる優しさ」「自己流ながらも人の心を引き付ける魅力に溢れるドラムテクニック…それを高く評価され飯の種として昇華しながらも「好きだから叩く!」の思いを貫いた姿勢と、絶望の淵に立っても達成感でスパッと断ち切れるサッパリ感」の同居は時代を反映する様なキャラクターであった当時の渡社長の雰囲気にぴったりと嵌っていますし、当時の関係者や観客はこの後の活躍に期待を抱いた事と思います。

 

 

 

 

 

 

渡社長以外に目を向けても「日活きっての清純派で、吉永小百合曰く「マリア様の様な方」であるらしい芦川いずみには珍しい女傑ぶり(遣り手の楽隊プロデューサー兼マネージャーとでも言えばいいか…)この数年後結ばれるフジタツの兄貴に寄り添う姿は夫婦を見ている様な感」「フジタツの兄貴の恋人・由美かおるの実父役が佐野浅夫…此方も考えてみれば後の「水戸黄門」コンビ」「楽隊の一員として杉良太郎がサックス担当で出演」「大物プロデューサー・内田稔とその実妹・太田雅子=梶芽衣子による渡社長・フジタツの兄貴の破壊及びいずみさん略奪等々…鬼の兄弟の非情な工作の数々」等々、裕さん版とは違う観処が多いです。

 

 

序盤ではいずみさんが休憩をも与えずに渡社長にドラムを叩かせ続けたり(パンツ一丁の渡社長の姿を見て目を白黒させる場面も在ります)終盤に内田さんが「腕を潰された位で渡社長は(ドラマーを)諦めるだろうか?わたしを含め我々は大きな間違いを犯した」言い放ちますが、前者は「出来ると見込まれていなければ絶対に無い、厳しさこそが愛情と云う事実」後者は梶さんの言葉をお借りすれば「媚びない・めげない・挫けない渉社長の姿勢を認めさせた描写」であり、俺を含めた現代人が見習うべき物事も同時並行で描かれているのは当作品の美点です。

 

 

 

 

 

 

最後に…俺の現在の通勤経路に最近めっきり見なくなった「書籍の自動販売機コーナー」を発見!これを専門に全国を探索されている方も居られると前職の同僚から聞いてはいましたが、俺も十数年ぶりに見ました!

 

 

しかも屋根壁に囲われ、年齢確認用の機械も置いてあり、稼働中四台及び未稼働中二台の計六台!買いはしませんでしたが…