実録「吉展ちゃん誘拐殺人事件」東映東京「一万三千人の容疑者」芦田伸介/小山明子・関川秀雄監督。 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、こんにちは。

 

 

休み二日目、晴れ上がり、ここ数日間の肌寒さも今日には解消するのではと思わせてくれます。

 

 

 

さて夕べ、飲酒をしながら「全放映波で初放映」となったこの作品を鑑賞していました。

 

 

存在は以前から知っていましたし、KINENOTE上での作品評価には、平成19年に都内の名画座でも公開された事が判明…「何時かは鑑賞したい」との思いが実現しました。

 

 

 

「一万三千人の容疑者」昭和41年9月8日公開・堀隆次原作・長谷川公之脚本(元警視庁鑑識課勤務の脚本家で、東映東京制作「警視庁物語シリーズ」やテレビドラマ「七人の刑事」等々にも携わっています)・伊福部昭音楽担当・関川秀雄監督・東映東京制作。

 

 

未VHS/DVD化作品で有料動画配信も行われていませんが、平成30年4月18日に有料波のchNECOに於いて先述の通り「全放映波に於ける初放映」が行われました。

 

 

本日以降の放映予定は有りませんが、chNECOは「翌月に(又は「翌々月に」)再放映」等々と云う事が頻繁に有りますので「近々再度鑑賞機会が訪れる可能性も高い」と、私感ではありますが推測します。

 

 

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

 

※chNECOの作品案内・放映日時案内は此方から

 

 

 

併映作品は、作曲家・遠藤実の自著伝を映像化した千葉ちゃん主演「太陽に突っ走れ」(遠藤実原作・池田雄一脚本・鷹森監督・東映東京制作。未VHS/DVD化作品で有料動画配信も行われていませんが、此方も平成29年10月にchNECO内に於いて「全放送局初の放映」が行われました)。

 

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

 

当時の「東映劇場公開作品群の番組構成」を考えると「東映まんがまつりの次に健全な「不良性感度と卑猥さを押し出していた状況」とは真逆の、全面的に極めて真摯な番組構成」となっています。

 

 

何せ「一万三千人の容疑者」は、当時JNN系列で放映されていたテレビドラマ「七人の刑事」での主演が「当り役」となっていた芦田伸介を主演に迎え(当時ANN系列で放映されていた東映東京テレビプロダクション制作「特別機動捜査隊」の波島進/中山昭二の「両主任役」を配さなかった所も注目ですが「特別機動捜査隊の撮影日程等々との兼ね合い」「劇場公開作品とテレビドラマの境界線の問題(五社協定の関係上「東映制作の劇場公開作品の主演級/助演級に、東映制作のテレビドラマ作品で主演級/助演級として出演していた自社所属の役者を起用する事が実質不可能だった可能性」も有ります)」「双方で代わり映えしない配役では新鮮味が生まれない」等々の「東映側の判断が働いた」と、私感ではありますが推測します)昭和38年3月31日に東京都内で発生し、昭和40年7月5日に無念の「白骨化した遺体発見」となってしまった「吉展ちゃん誘拐殺人事件」を、実名を入れ替えただけでそのまま映像化した「実録犯罪史作品」。

 

 

余談ですが「現在では誘拐事件の度に警察・報道機関内で結ばれる「報道協定」初めて適用された事件」「それ迄は「通信の守秘義務」として日本電信電話公社(現在の日本電信電話グループの前身に当たります)が認めていなかった「逆探知」を、所管官庁である郵政省(郵政大臣)の通達に従い初めて行い、後に「受信者の了解を得て、脅迫者を当局が突き止める為の逆探知であれば、通信の秘密を侵す事にはならない」との見解が示され条件付きで逆探知を犯罪捜査に利用可能になる切っ掛け」となった事件」でもあります。

 

 

 

※ウィキペディア「吉展ちゃん誘拐殺人事件」は此方から(先述の通り「実名を入れ替えただけでそのまま映像化した実録犯罪史作品」ですし「事件の詳細な経過状況」も「ウィキペディアに記載されている内容」とほぼ一致していますので、お手数をお掛け致しますが此方を参照下さい)

 

 

 

「物語の展開の面白さや綿密さ・役者陣の演技力等々に注視したり評価を与える」と云う類の作品ではありません。

 

 

「この事件を絶対に許さない!類似の事件を絶対に起こさせない!この事件を絶対に風化させてはいけない!」「一人の生命を奪っただけでは終わらない!事件経過や捜査過程に於いて心労等々で関係者の命をも奪う事が有る「間接的な殺人」にも成り得る重大性」「被害者・加害者・捜査関係者に留まらず、多くの方々の心情や生活環境さえも一変させ疲弊させ続ける深刻な事態に発展する事実」等々と云う「この作品に携わった全員の想いを素直に受け止めながら鑑賞すべき作品」と思います。

 

 

「もし実行犯が実子を連れて来た時(又は「実子が一人で帰って来た時」)何時でも自宅に入る事が出来る様に玄関を施錠せず、丸二年が経過した時点に於いても生死が解らぬ状態で「希望を抱き」小学校への入学の準備を進めたり、端午の節句の度に五月人形を出し続けた小山さん夫婦の、藁に縋ってでも無事を祈り信じて待ち続けた姿と、最悪の結果を伝えられた時の嗚咽」は鑑賞していた俺も非常に辛くなる場面でした。

 

 

最後の場面では、実行犯の母親が「わたしも一緒に地獄に行く!(被害者の男児の名を呼び)どうか極楽浄土に行って下さいまし…」と言い放った「取り返しの付かない事件を起こした息子に対する怒りと、被害者とその関係者に対するお詫びを、極限の精神状態に追い込まれながら無理矢理押し出した精一杯の言葉なのだろう」と感じさせる「重過ぎる二言」が、俺の場合は今でも心の奥底にずしりと鎮座しています。

 

 

 

「観客に最も近い位置で娯楽作品を作り続けていた東映だからこそ、事実を誇張・抑揚等々を交えず観る側にきちんと趣旨が伝わる形で描き切る事が出来た上に、当時の映像制作会社の制作能力を考えると、東映でなければ成立しなかったであろう題材であった」と感じます。

 

 

 

出演者は、被害者男児の母親は小山明子、実行犯は井川比佐志、捜査関係者は芦田さんの他に田畑隆・稲葉義男・織本順吉・相馬剛三・永田靖・浜田寅彦・山浦栄・植田灯孝・内田透・松本克平・その他に市原悦子・神山寛・池田駿介・村瀬幸子・山本緑・岸輝子等々です。

 

 

 

最後に「お馴染みの「東映マーク」が出る冒頭の前」には、当作制作公開当時の東映社長である大川博の一文がナレーションと共に映し出されます。

 

 

 

 

 

 

俺がテレビの画面から撮影した写真ですので読み辛いかとは思いますが何卒御容赦下さい。

 

 

 

この「制作陣の想い」が、果たして現代に於いてはどれだけ多くの方々に伝わるでしょうか?

 

 

 

当方では頻繁に書いている事ですが「臭い物に蓋をし、表向きが綺麗で清らかな映像作品ばかりを推奨する識者と、それを何の疑問も持たずに受け入れる一部の鑑賞者達」「極一部の極論主義者や、重箱の隅を突き続ける事に力量を注ぐ精神異常者」「先述の大馬鹿者連中等々を恐れて、無難かつ差し障りの無い作品ばかりを制作し続ける映像業界関係者」「自身の印象を傷付けない役柄に固執し、挑戦や冒険をしようとしない役者陣」等々「観る側の目線を無視した横暴等々に走る関係者」が年々増え続け、高い志を持つ方々も少数ながら居られるものの「末期状態を既に超えてしまったのでは?」とも感じる「日本の映像制作業界」。

 

 

「反面教師として「家庭や地域等々の周辺環境・学校では決して教えてはくれない物事」「人として必要不可欠な物事」を「娯楽映像作品を通じて教えて来た良き伝統」が継承されなかった現代」に於いて「問題視されている物事」の大きな一つは「命の軽視による殺人や自殺の増加」。

 

 

「テレビゲームの様に(俺自身が「テレビゲーム」を一切しない為、詳しい事は一切解りませんが)「一度死んでも簡単に生き返り、それが何度も繰り返される=他人の命をも軽視する切っ掛け」の理由の一つになっている事」は否定出来ないですし「他人の命を軽視する風潮が、些細な物事でも簡単に自殺を選ぶ者達が増加している理由にも繋がっているのでは?」と私感ですが思っています。

 

 

 

そして、これ迄も現在も、残念ながら今後も増え続ける事は有っても消滅する事は無いであろう「誹謗中傷」。

 

 

当作品内に於いても「芦田さん達が捜査中、移動の為に乗車していた鉄道の車内で「事件が解決しないのは警察関係者が実行犯だから」と云う乗客の会話を聞き、経験の少ない刑事が身を乗り出したものの芦田さんが制止する場面」「芦田さんと小山さんとの遣り取りの中で明かされた「飲食店に迄、被害者男児の写真入りの情報提供ポスターが張られていると酒が不味くなるから何とかしろ!」等々の「嫌がらせ電話や直接訪問による理不尽な要求・苦情等々に悩まされている事実」等々が交えられています。

 

 

これは俺自身が「意識していながら未だに全く出来ていない事」でもありますが「相手の立場や現状をきちんと把握・理解した上で物事を行動に移す・言動を行う大切さ」そしてこれは「気を付けていても完全に防ぐ事は「全く言葉を発しない」と云う「非現実的な行動」を取らぬ限り不可能」ではありますが「無意識に発した言葉や会話の内容が、周囲の見ず知らずの人物の気持ちを傷付けたり逆撫でする事も有るという現実を踏まえた上で日々過ごす意識の必要性」も教えてくれます。

 

 

 

その意味合いからも当作品は、今直ぐにでも「個人鑑賞向け/貸出用業者向け双方のDVD化」「有料動画配信化」「通常波/有料波/映画館等々を問わぬ積極的な放映/公開の展開」を是非東映と東映ビデオに強く望みます。

 

 

何卒前向きなご検討をお願い致します。

 

 

 

そして「テレビゲーム等々を遣るな!」とは言いませんが「同時進行の形態で、あらゆる媒体を使用する形でもいいから、ゲームの様に生き物の生命は絶対に取り戻せるものではない」と云う「極当たり前の事を極当たり前に、一生継続して学び続け教え続ける、単純だが最も人として生きる上で必要不可欠な物事を絶対に忘れず常に意識する事」をもう一度見直さなければなりません。

 

 

これは「殺人事件や自殺を食い止める」だけに留まらず「交通事故等々、例え過失事案であったとしても何時自分が被害者/加害者になるか解らない現実」「過失事案等々であっても人の命を奪う行為には変わらない重大性」等々を「常に意識し続ける必要性に直結する物事」だと思います。