仲代御大東映初出演・東映東京「裸の太陽」江原真二郎/丘さとみ。新藤監督脚本/家城監督作品 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、こんにちは。

 

 

今朝の7時に勤務を終え、金曜日8時の始業時迄の73時間休みに入りました。

 

 

今年の5月連休休暇も「最低一日の休日出勤要請」が出そう。加えて「変則勤務専従班の人員構成全面変更」(一部の人員変更は数か月ごと、全面変更は2.3年ごとに行わなければ「友達感覚・狎れ合い」に陥る可能性が高く、業務上必要な処置です)により、来月の出勤日数が「現時点での確定日数より微減か微増か」の何れかになりそうです。

 

 

 

帰宅後、即朝酒を口にすると…そのまま就寝してしまい、目が覚めたら既に16時半を回っていました。

 

 

しかし、この記事を書き終えたら再び飲酒の予定。夕飯は手抜きをして簡単に済ませます。たまにはいいだろう…

 

 

 

さて、今年で役者生活65年を迎えられた「現代の重鎮」である仲代御大…

 

 

有料BS/CS波に於いては日本映画専門chを中心として、東映ch等々でも仲代御大の主演作品が数多く放映されています。

 

 

その仲代御大が「東映初出演を果たされた作品」が、今月の日本映画専門ch「映画「海辺のリア」公開記念 特集 役者・仲代達矢」の枠内で放映の一作品として、4/27(木)06:30より放映されます。(字幕付きHD放映)

 

 

 

「裸の太陽」昭和33年10月1日公開・氷室和敏原作・新藤兼人脚本・家城巳代治監督・東映東京制作。

 

 

DVD化作品ですが、有料動画配信は有りません。

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

※日本映画専門chの作品案内・放映時間案内は此方から

 

 

 

吉川英治原作・結束信二脚本・松田定次監督・千代様/錦之助御大/お嬢共演作品「隠密七生記」(VHS化作品ですが未DVD化で有料動画配信は有りません。因みに俺は未見です。KINENOTEの作品案内は此方から)の併映作品。

 

 

 

 

 

余談ですが「裸の太陽」は当時のベルリン国際映画祭「青少年映画賞(西ベルリン参事会賞)」を受賞していますし「結果を知り初めて目を向けて無条件で高評価を与えてしまう評論家連中が当時から数多く存在していた影響」「それらの書籍を目にするのはまだまだ富裕層だった影響」等々なのか知る由も有りませんが、昭和33年度の「キネマ旬報」「ブルーリボン」「毎日映画」等々の賞レースでベスト10にも選出されています。

 

 

 

「国鉄職員の江原真二郎が、将来を誓った女工の丘さとみと共に貯めていた金を、江原さんの同郷で同じ国鉄職員だが素行が悪かった仲代御大に懇願されて独断で貯金全てを貸した事で巻き起こる騒動」を切っ掛けに描かれる「男女の金銭観・価値観等々の差異」「執着心より諦めの心の必要性」「無欲と助け合いの価値と重要性」等々を爽やかに、サラリと描いてはいるのですが…

 

 

 

 

 

 

 

この当時の東映東京は、岡田名誉会長に言わせると「日本一最低の撮影所」であり「演出料が高額であるだけの監督陣が鎮座し、看板役者が中々育たない環境」だった為か、他社作品に比べれば「観客目線寄り」ではあるものの、東映京都作品やこの後の東映東京作品に比べると「若干、観客を見下ろした様な感覚」を受けるのも事実。

 

 

今の社会環境や映像作品、そして今も当時も教育機関や職場、家庭等々では絶対に教えてはくれない「人間らしさ」を解り易く教える点では「多くの方々、特に若年層に是非鑑賞して貰いたい作品」ですが、私感ながら「その点を理想的に描こうと力を少し入れ過ぎた事」がかえって「僅かながらも観客を見下した感覚や押し付けとも思える雰囲気が伺えた」のかもしれません。

 

 

只、この時期は各社「一般家庭へのテレビ受像機の普及は進んではいたもののまだまだ映画が強かった上に本格的なテレビ放映の成長期前であった事」「映画はテレビドラマより格が上と云う認識が制作側、観客側双方に有った事」「映画会社がテレビ局の運営や放映作品の制作に進出する事自体検討がされてはいなかった事」「各社が試行錯誤を重ね様々な作品群を制作しながら「一つの得意分野に捉われず、自社のカラーを複数確立させる努力」が為されていた事」等々を考えると「通らなければならない道」だったのでしょうし、その様な経験や結果等々が生かされて、後の各社の繁栄と評価に繋がったものと思います。

 

 

 

戦時中から終戦後にかけて、職を転々とし生きる為に相当な苦労をされていた事を、春日先生との対談でお話をされていた仲代御大ですが「素行不良で周囲からの借金も多額…その男が江原さんに金を無心した姿と結末で見せた涙」は、助演でありながらも物語を掻き回す存在感では、当時の他作品では中々見られない際立った芝居ですし、その人生経験が素直に芝居に出たのかもしれません。

 

 

 

因みに仲代御大は「仲代達矢が語る日本映画黄金時代」(春日先生・著/PHP新書・刊)内で、春日先生との対談を「ハッピーエンドの作品は全く面白くないと思う。(中略)そう云う時代なのかもしれないけれども、何処かでルネッサンスみたいなのがもう一度来て、ちゃんとした映画が制作出来る時代が来たら面白いなと思う」の言葉で締めておられました。

 

 

この書籍、皆様に是非読んで貰いたい一冊です。

 

 

 

他の出演者は、山形勲・花澤徳衛・高原駿雄・星美智子・岩崎加根子・飯田蝶子・曽根さん・岡部正純・オリジュン・神田隆・東野黄門様・潮の健さん・セキコウさん等々です。

 

 

 

最後に…昭和は「クラウンの山村」でしたが、平成は「クラウンの仲代」!

 

 

平成11年発売の「歴代クラウン最後の直列6気筒エンジン搭載車(JZ型/G型)」かつ「直接噴射式D-4エンジンと5速オートマチック」で当時のこのクラスとしては燃費性能が非常に良かったS170系クラウン・ロイヤルシリーズの宣伝に一年間だけですが出演されていました。

 

 

やはりクラウンの宣伝には「役者界の重鎮」が似合います。

 

 

 

 

 

 

 

仲代御大の俳優座加入が昭和30年なら、初代に当たるトヨペット・クラウンRS/S20/S30系の発売も昭和30年ですのでこれは正に適任!

 

 

そして、国産車の中では「最も保守的な車」と言われてはいるものの、それは「目に見える部分」だけであり実際には「基本の部分」はそのままに「実用面や見えない部分」で常に一歩先を見据えていたクラウン…この点も「当り役や代名詞を持ちながらもそれに捉われぬ事無く常に新たな道を模索して来た仲代御大の役者道」に通ずる物が有ります。