(再掲載)盛岡を舞台に機関士一家の軌跡を描いた名作。東映東京「大いなる旅路」連さん・健さん共演。 | 東映バカの部屋

東映バカの部屋

東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

●この記事は平成25年10月6日の記事を一部編集・追記して再掲載しました。



皆様、こんばんは。


朝から曇り空ですが丁度いい気温…しかし明日の朝は2度迄下がる気配とか…朝の気象が徐々に辛くなりつつある秋田市内です。


今晩は「9日間に一日の恒例」日勤・夜勤切り替えの中日で夜更かし…明日の20時始業ですので早く寝たり飲酒の時間が早過ぎると大変な事になります。



今回は東映chで去年10月に企画放映された「鉄道映画特集」の一作から…(今年の10月にも放映されています)


健さんが東北に撮影でいらっしゃった作品として、俺の郷里の盛岡が舞台となった作品を再掲載させて頂きます。(残念ながら…秋田県内には撮影では来ていない様です。旅行等々で来た可能性は有りますが、情報も地元報道関係の記事も無ければ調べる術が有りません)


「任侠とヤクザ・暴力とエロ」に力を入れ始める数年前の東映作品からです。



「大いなる旅路」昭和35年3月8日公開。新藤兼人脚本・関川秀雄監督。東映東京製作。



当作も当時の国鉄(現JR)の全面協力を得て製作されています。


VHS/DVD化作品です。有料動画配信は無し。



 

 



併映作品は「人形佐七捕物帖・般若の面」(横溝正史原作・山崎大助監督・若山先生主演・東映京都製作。未VHS/DVD化作品)


この当時は余程の大作ではない限り「二本立て・七日間興行」が普通でしたので、当作も一週間公開されただけ。


しかし「現代でも言い伝えられる名画」として十二分に納得する内容です。



※KINENOTEの作品案内は此方から→http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=22916


※ウィキペディアの記事は此方から→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%97%85%E8%B7%AF




大正時代から昭和35年迄の盛岡を舞台に、或る機関士の半生を描いた作品。


現在は再開発されて生まれ変わった盛岡駅西側に有った盛岡機関区や新幹線開業前の盛岡駅・今は盛岡に編入された玉山村渋民地区・岩手山等々も確認出来ますので、スタジオ撮影と東京・名古屋の場面以外はほぼ盛岡で撮影された模様。



連さん演じる機関士は、序盤ではどちらかと言えば「劣等生」。


大酒飲みで喧嘩も朝飯前の「暴れん坊」。


しかし或る年の真冬、雪崩に巻き込まれた事が原因の列車転覆事故に遭い、先輩の機関士が絶命したのを機に「仕事への誇り」「愛する家族の為」に心機一転、機関士の仕事を全うする為に変わります。



因みにこの事故の場面は宮古を経由して盛岡と釜石を結ぶ地方線の山田線浅岸駅(盛岡と宮古の市境付近の駅で現在は無人駅。平成24年度より冬季のみ閉鎖されています)で当時の盛岡鉄道管理局(現JR盛岡支店)の局長立会の元で実際に脱線転覆させたもの。(ウィキペディアより一部抜粋)


現在のCGとは比較にならない「物凄い迫力」の場面です。


これが浅岸駅。(ウィキペディアより)


 



※浅岸駅の概要は此方から→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E5%B2%B8%E9%A7%85



盛岡市内に有る俺の実家からは車で3,40分はかかるかなぁ…


4,5年前にも行ってみましたが…人家は極僅かの「閑散とした集落」。


しかし市街地では味わえない風景の美しさと空気の美味さは格別です。



そう言えば山田線は盛岡・宮古間は日に4,5本のダイヤかつ(盛岡と宮古の行き来は数多くの集落を経由する上所要時間も短い急行バスが一般的で一時間に一本の割合で運行されています)宮古・釜石間は大震災の津波により復旧の目処が立たないまま運休が続いています。



加えて満州事変・大東亜戦争と敗戦後の混乱期と共に描かれる「四人の子供達」の成長と結末、それに対する「親としての心の奥に秘めた想い」も上手く描かれています。



健さんは連さんの次男坊として出演しており、後に東海道線の特急列車の機関士となります。


連さんの他の家族は…奥さんは風見章子・長男は南廣・三男は中村嘉津雄・長女は小宮光江。



そして、数多くの「役者」が随所に出演し、この方々を「発見」し「若き日の芝居」を楽しめるのもまた魅力…


ほぼ全員「善人役」。


後の東映では考えられませんが…



東野英治郎・神田隆・梅宮の辰ちゃん・ヤマリン・関山耕司・花澤徳衛・南川直・明石潮・河野秋武・利根はる恵・加藤嘉・八代万智子等々…



当作出演当時、恐らく40歳前後だった連さん・風見さんは20代~定年の55歳(当時の国鉄は55歳定年制。もしかしたら今のJRも55歳定年制→再雇用やグループ会社へ転籍・出向かも…)迄を一貫して演じています。


今では「年齢相応の役者に切り替える」のが一般的で当作と同様の例は「連続テレビ小説」では未だに有るものの他では滅多に見なくなった手法。


当作製作時点では終戦から約15年しか経っていなかった為「戦争犠牲者の絡み」から「年齢相応の役者が絶対的に不足」していて「並大抵の努力や経験では役者として通用しなかった」事に加え「若くても幅広い年代を演じられる技量と力量」が求められていた事情も有るのでしょうが…


それを抜きにしてもこの「見る側に強く訴える心の奥底から発せられる演技力」は素晴らしい!…の一言。


昭和の映像作品群に嵌ると「心からの素晴らしい芝居」「面白さ」「楽しさ」「大きな感動」等々に数多く出逢える事が嬉しい。


特に東映作品には他社を足下にも寄せ付けない数の「感じるもの」が有ります。(東宝本体製作作品以外の他社も相当数の「感じるもの」を見せてくれています。東宝本体のみは極端に「感じるもの」が少ない印象でしたが…最近は見方が変わりつつあり、良さを感じるモノも出て来ました)


それと共に「現代の多くの製作陣と役者陣の余りの無能ぶり・努力と工夫の足りなさ・悪い意味での大バカぶり・先人の大きな財産を殺していながら何も思わない罪深さ・観客と視聴者を無視した製作姿勢・綺麗なもののみを良しとする事勿れ主義・子供/障害/病気/動物/恋愛等々を安易に使い感動させる演出技法しか知らない大バカ連中が蔓延」している事に情けなさと憤りを感じます。


しかし…「丘蒸気」の走りは力強い!


八名の親分が「蒸気機関車」に嵌っているのが十分に理解出来ます…



最後に…先日パソコン版の岩手日報の記事を見た所…健さんは当作の撮影の際盛岡にいらっしゃっただけではなく、昭和35年に開館した盛岡東映のオープニングセレモニーにも来たのだそうです。(残念ながら盛岡東映は10年程前に閉館となりました。2スクリーンを持っており、基本は1階が日本映画・2階が外国映画の上映でした)