昨日で世界陸上ベルリン大会が閉幕しました。
時差は7時間ということだったので、もちろん全部を見ることは出来ませんでしたが、それでも夜中の2時くらいまでは平日も毎日見てしまって、楽しむことが出来ました。
ゼッケンに見られるおおらかさ
競技ももちろん面白かったのですが、個人的には何故か選手がつけている「ゼッケン」に目を奪われ、色んなことを考えてしまいました。
ウェアはそれなりに動き易さや空気抵抗などを考えて、メーカーが開発力を競っているのだと思います。
シューズももちろんそうなのでしょう。
コンマ何秒の世界に生きるアスリートの運動能力を極限まで引き出す技術者たちの開発努力がそこにはあったのだと思います。
しかし、ゼッケンだけは何故か昔のままです。
ひらひらの1枚布を無造作に縫い付けています。
あるいは安全ピンで留めている短距離の選手も一杯いました。
おそらくは4箇所を留めていたのだと思われますが、3箇所は外れてしまい、布がめくれ上がっている選手もいました。
しかし、そのひらひらのゼッケンの下にはぴったりと身体に密着したウェアに身を包んでいます。
そのアンバランスが妙に可笑しくて、選手紹介でアップになるたびに選手の表情よりもゼッケンの留め方ばかりを凝視していまいました。
おおらかというか、たおやかというか、どう表現したらよいのか分からない雰囲気がそこにはありました。
おそらく、ウェアやシューズはもちろん大切なのでしょうが、それだけで勝負が決まるほど甘い勝負ではない、もっと根源的な力の競い合いをこれから自分たちはするということを皆分かっているだと思います。
まぎれもなく「選手」が主役の勝負がそこにはありました。
水泳が水着問題で揺れて、正直、「記録=選手の力」だと素直に見ることが出来なくなってしまいました。
どんなに素晴らしい記録を出しても、優勝しても、「この人の水着がすごくいいのでは?」と疑いの気持ちでしか見ることが出来なくなってしまいました。
来年からは縫製の水着しか認めないとのルール改正が行われるとの予想もあるそうですが、一度失った信頼はなかなか取り戻せないと思います。
全てが縫製水着だとしても、勝った人を見てやっぱり「水着のおかげでは?」と考えてしまうと思います。
おそらく水泳界はこの失った信用を取り戻すのにこれから何年も費やすのかもしれません。あるいは永遠に我々がピュアな気持ちで水泳競技を見つめることはできないのかもしれません。
選手には何も罪はないのですが、残念なことです。
陸上競技にはいつまでも人間の肉体の原始的な競い合いの競技だと思わせて欲しいものです。
背中からビデオを写して分かることもある
最終日には槍投げの村上選手が3位に入り、銅メダルを獲得しました。
投てき種目で日本人がメダルを取るというのは、無理なんだろうとずっと思っていましたので、びっくりしました。
周りの選手と比べても、あきらかに村上選手の体つきは線が細い感じもしました。(日本人の中ではもちろん相当にパワーがありそうな体型ですが)
| 工夫重ねて金字塔=「壁」突き破った村上-世界陸上・男子やり投げ(時事通信) (略) きれいな放物線が描かれた。男子やり投げ決勝。日本選手として22年ぶりに予選をクリアした村上が、銅メダルの金字塔を打ち立てた。「何となく、やれそうな気がする。外国勢に付け入るスキはある」と強気で臨み、2投目に82メートル97をマーク。予選で出した自己ベストの83メートル10に迫り、この好記録で3位を守った。 日本の第一人者は、自分で考え工夫を重ねた。「外国勢の投てきと比べ背筋と肩甲骨周りの筋肉がうまく使えていない。だけど部分、部分を鍛えるのではなく、下半身から上半身へ力が連動するように意識した。自分で自分に教えるようにやってきた」と説明。踏み込む左足と右手のリリースポイントの相関関係が「自分を背後から撮った映像で、理想の形にきていると確認できた」と手応えをつかんでいた。(後略) (8月24日1時5分配信 時事通信) |
肉体的な能力で劣る日本人が、パワー種目で外国人と伍していくためには独自の理論と工夫が必要なのでしょう。
改善ポイントについて仮説を立て(下半身から上半身へ力が連動するように)、その仮説の実践を、こんどは自分自身を映したビデオカメラでチェックするという地道な努力の積み重ねでつかんだ結果だけに素晴らしいですね。
無理に会社経営に照らし合わせて考えることでも無いんですが、仕事でも「自分を背後からみる」っていうのは大切なことですよね。

