給料上げるには | なっちさんのブログ

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岸田首相は少子化対策で国民に負担をお願いしても賃上げになるから実質的な負担は生じないと強調する。
ニュースで25ヶ月連続平均賃金減少というのを見た。
あれっ?話が合わない。
そもそも物価の高騰が止まらない。
医療費も上がる。
ガソリン代、電気代も。
その辺りは触れないで定額減税をアピールする。
まあ岸田首相のアピールは置いといて個人的に収入増やすにはどうすれば良いのか。
20代後半に2年半ダブルワークやってたけど55歳の現在ダブルワークは現実的ではない。
やるとするならば平日午前中母と電位治療の無料体験に通っているその時間になる。
アルバイト始めた結果僕や母の健康か損なわれたり母が介護になったら本末転倒。母が介護にならない為に電位治療の無料体験に通っているのだ。

20代のマツダの営業マン時代は毎年基本給はベースアップしていた。でも1990年代のマツダはバブル崩壊して厳しい時期。販売5チャンネル体制の失敗。ネットではクロノスの悲劇と書かれてる。給料は基本給プラス歩合。

歩合を増やす、つまり車を売る、自動車保険を売るなどで収入を増やす事が出来る。

しかし車をたくさん売る為には多くのお客さんと話して動き回る。その結果ガソリン代の自己負担が増える。

初代センティアとかボンゴフレンディが発売された当初は少ない値引きで売れたがだんだん売れなくなる。

バブル崩壊後は新車販売は厳しくなる。

マツダの販売会社の社長がベンツの会社も経営していた。車を何台も買ってもらってるお客さんがベンツ購入を考えていると言っていた。

僕はベンツの会社を紹介した。

ベンツの会社には僕がマツダの販売店に入社した時の面接官の1人が出向していた。

僕がお客さんとアポを取りその上司と営業マンと一緒にベンツの商談に行った。

当時のマツダの最高級車センティアが何台も買えるベンツのSLの商談。聞いた事のない金額の会話が行われた。

契約や納車の時も同席した。センティアを値引きゼロで売った以上の紹介料をもらった。

それではマツダ車を売らないでベンツを売って収入増やそうという訳にはいかない。

この時は棚からぼた餅でそう簡単に売れるものではない。

会社も経営が厳しくなってくると中堅営業マンは車5台以上売って初めて通常の販売手当が支給されるようになった。

車種、値引き、オプションなどにより販売手当は変わる。例えば月4台売って販売手当が本来5万以上もらえるはずが5台に到達してないので台当たり3000円しかもらえない。

車の走行距離は月3000km以上で動き回ってもなかなか売れない。

ダブルワークを2年半やり30歳の時に転職を決断した。会社の先輩がなかなか売れない姿を見ている。所長も給料が良いとは言えないし大変そう、30歳前後で辞めてく人が多いのを見て僕も決断した。

会社を辞める理由の一つが給料だったはずなのに今まで勤めた会社で一番給料良かったのはマツダ時代という皮肉。

その理由はボーナスの違いだ。

マツダの販売店時代はボーナスが出ていた。

中華料理店時代はボーナスはなかった。店長じゃないので残業代は出ていた。しかし基本給が安かったので残業少ないと生活出来ないレベルの給料だ。

でも残業月150時間が当たり前だったので体力的にキツかった。

社長は僕が残業多いのが気に食わなかった。残業代のつかない店長がたくさん働けば残業代払わなくて済む。朝寝坊の多い社員を早番にするとパートさんが出社してきた時まだ店が開いてないので社長に連絡が来る。社長は店長に激怒する。

当てにならない奴を早番にするな。

それで僕の早番が増えるとなっちの残業が多いと店長を怒る。

そして僕にはもっと仕事出来るようになれば仕込み早く終わるから残業減って体楽になると言った。

まるで僕が仕事遅くて仕込み終わらなくて残業してるかのように。店長の作ったシフト通りなんですけど。他の社員の残業増やすと体力的に音を上げるからタフな僕の残業が増えてるだけなのに。

残業月150時間当たり前。多い月は残業200時間。それを何年も続けたら僕の体も悲鳴をあげる。中には脳梗塞で倒れた店長、鼠径ヘルニアの手術受けた店長がいた。

40歳になる前転職した。

焼肉店で夜勤中心で働いた。焼肉店には9年勤務して7年が夜勤だった。

新宿店の時は通勤が片道1時間半。夜勤明けだと電車はすいてるが電車の本数が少なかったので待ち時間も多かった。

新宿店の時は勤務時間が長くなり休みも取れない時もあり責任も重かったがやりがいがあった。

会社で一番忙しい食べ放題店舗に異動したらもっとキツくなった。休みはきちんと取れるし勤務時間も新宿より短かった。それなのに新宿よりキツかった。忙しすぎて仕事に追われていた。人間関係も合わなかった。その結果体調崩して転職した。

半年中華料理店はさんだ後現在の居酒屋。

中華料理店、焼肉店の時より勤務時間は短い。給料は多いとは言えない。途中コロナ禍だったので会社も厳しかった。居酒屋のフランチャイズ2店舗で同じ社員数で仕事を増やしていく。自動販売機を設置したから自動販売機の商品を製造する。社員1人がキッチンカー担当になる。中華料理店や焼肉店の時だったら社長や本部がやっていた仕事も現場の自分達でやらなければならない。

本部の役員も兼ねる社長が本部のセントラルキッチンをもっと活用し本部の利益を出すように動き出した。結果としてうちの店はヘルプを借りて店長がセントラルキッチンに週1回か2回行くようになった。

今さら転職は出来ない。定年がないので体動くうちは働ける。コンスタントに今より月100万以上店の売上アップすれば年収増やす事も可能。それは簡単ではない。

転職もダブルワークも難しい以上今の仕事頑張って会社の利益出して給料上げるの1択。

現在はわからないが当時の焼肉店や中華料理店だったら60歳になったら給料下がる。正社員から契約社員に変わるみたいな感じ。

健康を維持して元気に働く。それしかない。

その為にも電位治療の無料体験に行く。