浜名湖周辺の原人たち~三ヶ日人~原人研究その3 | 日本史をつまみ食いして旅する(旅人は721列車)

日本史をつまみ食いして旅する(旅人は721列車)

中央公論の「日本の歴史」を読んで、歴史が起こった現場に行ってみたいと思い、実際にその場所に行ってみた記録です。本当は通史で行くべきでしょうけど、いろんな都合で時代はバラバラです。

私のような40代にとって、三ヶ日人というのは、必ず覚えておくべき歴史用語であった。

今では評価が変わっているのだけど、三ヶ日人は旧石器時代の人骨として認識されていたのだ。

高校2年の1学期の日本史の中間テストでは、三ヶ日人を解答する問題が出題されたのだが、私は三ヶ日人のために、日本史の中間テストで100点満点をとることができなかった。


そんな雑念を抱いて、新所原駅から天竜浜名湖鉄道の列車に乗った。

14時22分の掛川行である。

1両編成の列車は、数人の乗客を載せて浜名湖の北西をのんびり走った。


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途中の駅で、団体の列車と行き違った。

鉄道線路のそばに桜が咲いていて、右を見たら浜名湖、左を見たら桜という、ゼイタクな眺めを楽しんで、ちょうど20分で三ヶ日駅に到着した。

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この路線に乗るのは2回目である。

三ヶ日駅に降り立つのは初めてである。

数人の乗客の中で、三ヶ日駅に降りたのは、私だけであった。


ちょうどホームの向こうに、なんという桜なのかわからないけど、列車と駅ホームと絡めて、雰囲気のいい絵だと思ったので、写真に残した。


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乗ってきた列車が掛川に行ってしまったら、駅員さんがやってきて、「写真を撮るのですか?」と聞いてきたから、「いえ、三ヶ日人に会いに行きます」と言ったら、別段変な顔もせず、駅から歩いて一時間くらいですと言って、案内板で行き方を説明してくれた。


ちょっと大変な行程になりそうだ。


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とりあえず、駅を出て三ヶ日人の出土地に行くことにした。

出土地は、只木遺跡という。

時刻は14時50分ごろ。

往復2時間で行けそうな気がする。




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18時前に三ヶ日駅にもどってくる予定で歩き始めた。

持っていたiPadで、グーグルマップを表示して、三ヶ日の街中を歩いた。


ところで、三ヶ日人であるが、

昭和32年に三ヶ日の石灰岩採掘場で発見された人骨が、旧石器時代の人骨ということでもてはやされ、その後数年にわたっていくつかの骨が発見された。

私のような人間にしてみれば、高校の定期試験にも出題されるような歴史的に重要な発見であったにも関わらず、

平成12年に、旧石器時代の人骨ではないという鑑定結果が出たのだ。

どうも、三ヶ日人は縄文人であるということらしい。

同時に、トラやオオツノジカ、オオカミなどの骨といっしょに発見されて、それらの動物が、洪積世に生息していたから、三ヶ日人も洪積世の人骨だと推定されていたようだ。


三ヶ日人に限らず、浜名湖周辺の旧石器人の発見には、鈴木尚氏が大きく関与している。


ちなみに、三ヶ日人は、頭蓋骨5片と腰部の寛骨片、それに大腿骨の7つの骨が発見された。


もうひとつ、

私は三ヶ日人を、「三日美人」と解答してしまい、日本史の中間考査で満点を逃した。


ちょっと街を外れたあたりで、只木遺跡まで、3キロの標識があった。

あと30~40分も歩いたら、行けそうである。


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なのに20分、1.5キロほど歩いたら、只木遺跡まで3.5キロという案内板があった。

歩く距離が増えた。ガッカリである。

ちょっとチカラが抜けた。

行くのやめようかと思ったが、25年前の中間考査の恨みも後押しして、とりあえず行くことにした。

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ちょうど高速道路の、三ヶ日インターチェンジの近くで、三ヶ日みかんの産地でもあるから、見渡す限りみかん畑で、のどかな風景である。

こんなロケーションだと、旧石器人はどうやって生活していたのだろうかと思ってみたりして、アップダウンの激しい道を、重たい足で歩いた。

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時刻は15時40分ごろ。

三ヶ日駅から50分歩いたら、あと0.4キロの場所までやってきた。



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やっとここまでやってきたと思って、矢印に従って行ったら、2~3分で只木遺跡の入り口にたどり着い


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ここから、山を登って行かないといけないのかなと思いながらちょっと駆け上がると、民家の裏庭といった感じの位置に、只木遺跡の案内板があった。

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まわりは公園風に整備されていたが、肝心の三ヶ日人出土地は、立ち入り禁止であった。

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とにかく、三ヶ日人骨出土地までやってきた。

中間考査で「三日美人」と書き込んだことなどどうでもよくなったが、美人は三日で飽きるとしても、三ヶ日人は25年も思い続けたのだから、執念深い。ストーカーである。


だけど、そんな思いとは裏腹に、写真を撮影したらすぐに遺跡を離れた。


歩いてくる途中で、所々にバス停があったので、なんだろうと思ってみたら、三ヶ日町内を循環するバスだった。

只木遺跡の近くのバス停を通るので、バスで三ヶ日駅にもどることにした。

もう、歩くのは疲れたのだ。


どこかで三ヶ日人に拒否されたのかもしれない。

いや、単にバスの到着時刻が近かったから、乗り遅れたくなかったのだ。


件の、只木遺跡まで0.4キロの案内板の近くの白谷入口というバス停で待っていたら、そばで工事現場を警備していたガードマンさんが話しかけてきた。

彼が一言、「どのくらい山を掘ったら人骨が出てくるんですか?」と聞いてきた。

今までそんなことは考えたことはなかったが「採石場だから、山ひとつ掘ったら出てくるのでは?」と曖昧に答えた。

三ヶ日人が、「勉強不足だ!」とからかったのかもしれない。

確かに、遺跡の発掘調査報告を見たらわかるけど、私が関わった遺跡以外は、見たことがない。


バスに乗り込んで30分ほど、三ヶ日の街をドライブし、駅にはいかないから、三ヶ日農協前で降りた。

運賃は200円で、私以外は途中まで一緒だったおばさん以外にいなかった。

三ヶ日駅に駆け込んだらすぐに新所原行きの列車に乗れた。

16時41分発の列車である。

予定より1時間20分も早い。

それだけその日に泊まる浜松の夜が長くなる。


明日は牛川人と浜北人に会いに行く。

だけど歩き疲れて行くのやめようかという気になった。



三ヶ日人が「三日美人」と成り果ててしまった。