子育て-6 | もうひと花咲かせます

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『妻が夫を捨てるとき』の花子と息子吾郎の
その後・・・のおはなし

毎月1回、学童保育の保護者会ってのがあるんです。

ほかにも、3ヶ月に1度くらいの頻度で保護者会行事(レクレーション、もちつき、資源回収など)ってのがあります。

預けっぱなしのラクちんさ~ん♪ではないのですよ。

役員もあるし、係もあるし、保護者も色々とやらないかんことがあります。


 

そういう会合に行くと、下級生の子たちのお母さん方から色々と声をかけられます。

実は、学童内では、現在5年生が最上級生なので、うちの子がいちばん年上なのです。

というわけで、なんだか私までが、最上級生の母ということでまるで大御所のような扱いなんですσ(^_^;)

年齢的には、「明らかに私の方が年下やろ!あなたの方がずっと、人生の先輩ですよ!」って思う方もけっこういるんですけど(笑)、学童では私が先輩なんです。


 

で、なんて声をかけられるかと言うと、「吾郎くんは、しっかりしてて、面倒見がよくて、いつも遊んでくれて、、、」みたいなことですよ。

怒らせたら怖い・・・とは思われてるみたいだけど、基本的には面倒見が良くて、年下の子たちにも優しく接してるみたいです。


 

「どうやったら、吾郎くんみたいな良い子に育つんですか?」


 

これ、よく聞かれるんです。

このシリーズの最後に、私が子育てにおいて気をつけていることというか、どういう風に子育てしてきたかということは、まとめとして書こうとは思っていますが。


 

とりあえずこの問いに対しては、「とんでもない!!!」って答えます。

良い子だなんて、とんでもないですよ。

今までいろんなことがあったんですから。


 

1年生のときには、1年生なりの。

2年生のときには、2年生なりの。

3年生のときには、3年生なりの。

4年生のときには、4年生なりの。

そして、今、やっと5年生。

5年生だって、いろいろあります。


 

各年代ごとに、それぞれいろいろありました。

小学生ってね、やっぱり、いろいろ成長し、変わる時期なんじゃないでしょうか。

小学生の1年間ってのは、かなり大きいんじゃないでしょうかね。


 

だいたい、こういう相談をしてくるお母さんって、3年生のお母さんなんですよね。

分かります、分かります。

ホント、1・2年生と3年生って、だいぶ違います。

3年生と4年生も、これまた違う。

5年生も。


 

1年、1年、子供はすごく変わりますよ。

だから私はいつも言うんです。


 

「うちの子が、同じ学年の頃は、もっと大変でしたよ~!

今良い子に見えるなら、それはとってもうれしいけど。

うちだって、いろいろありましたから。

そんなに心配しなくても、大丈夫ですよきっと。」


 

というわけで、前置きが長くなりましたが、3年生の頃の話をしましょうかね。

本格的なものではないんでしょうけど、この頃、プチ反抗期みたいなのが始まりました。

2年生の終わり頃からでしたかね。

お友達とも、寄ると触るとケンカ!みたいな感じ。


 

しかも、取っ組み合いのケンカとかをするんですよ。

ケガしたこともあるし、たぶんさせたこともあるだろうと思います。

(よっぽどのことがない限り幼稚園みたいに細かく報告は来ませんので、定かではないことも多数あります)

1つ年上の男の子と取っ組み合いのケンカをしてて、ガラスを割ったこともあります。

ケガはしませんでしたが、ガラスは弁償しました。


 

実を言うと、学童保育中にガラスを割ったのは、これを入れて全部で3回です。

3年~4年の間に、3回も割ったんですよ。

故意ではないにしても、ちょっと多すぎでしょ。

ほかにも、ドアの鍵を壊したりとかもありました。

いろいろ弁償させられましたねぇ。


 

友達に大ケガをさせたとか、させられたとか、そういうのがなかったのだけが救いですね。

だけど、ホントに、なんだかしょっちゅうトラブルが起こってて。

まぁこれは、うちの子だけが問題なわけではなかったんですけどね。


 

色々と学童内で問題があって。

当時の指導員さんは、翌年に、総入れ替えになりました。


 

その時期、いわゆる”荒れてる”学童だったんです。

もちろん、吾郎も、その”荒れてる”メンバーのひとりになるんでしょうけど。


 

学童でボヤ騒ぎがあって。

原因は子供の放火です。

犯人は分からずじまいでしたが。


 

そのとき、吾郎は、もう少しで焼死するところでした。

本当に、あと少しのところで。

これについては、あまり、詳しくは書けませんが。

吾郎はそれ以来、「火」が怖くなっちゃって。

トラウマってやつですね。


 

ガスコンロの火ですら怖がって、火事の夢を見たり、おねしょをしたり。

つらい時期もありました。

だから、家で料理ができるようになった今が、とってもうれしいんです。

トラウマからはだいぶ逃れられたみたいで、ガスコンロも使えるようになりました。


 

3年生くらいになると、言葉遣いも日に日に悪くなりました。

大人の指導員さんたちに対しても、暴言を吐いたり。

だけど、不思議と学校ではとても良い子で。

クラスの担任の先生からは、お褒めの言葉しか出てこない。

そして、恐ろしいことに、家庭でも特に悪いところはないんです。

普通に手のかからない良い子でした。


 

子供らしい二面性というものなのでしょうか。

よく言いますよね。

「うちの子に限って!」ってやつです。

うちの子がまさか、そんな悪さをしてるなんて。


 

だけどこれは、吾郎だけに限ったことではなくて。

学童に通ってる同年代の子に、多く見られることでした。

もしかすると、学童だけが、自分らしさを存分に出せる場だったのかもしれません。


 

吾郎はよく、「お母さん思いの男の子。」って言われていました。

母親の前では、心配をかけまい、我慢しよう、良い子でいようと必死だったのかもしれません。

だけど、何といってもまだまだ子供ですからね。

そんなんじゃ、心のバランスが取れません。

だから、何かの拍子に、発散と言うか、はちきれると言うか。

爆発するんですね。


 

それが、うちの子の場合は、学童だったんだと思います。

私もいろいろ悩みました。

学童から電話がかかってくるたびに、もう・・・やめさせようかと。

だけど、仕事を続けていく以上、お世話にならずにはいられなくて。


 

今になって思えば、そんなに悩むほどのことじゃなかったような気もします。

長い子育ての中で考えれば、そういう時期があるのは当然のようなことの気もしますし、うちの子だけが特別悪かったわけではないし。


 

私自身も、ちょっと潔癖なところがあって。

私自身が、子供の頃から「良い子」って言われてきたし。

何か悪さをして、親に電話がかかってくるなんてことは、ものすごく恥ずかしくて情けないような気がしていました。

幼稚園児じゃあるまいし。

小学生にもなって・・・って。


 

私のプライド・・・だったのかも。

私の子供に限って、そんなことで怒られるなんてって。

それは、なんとなく、自分で自覚していました。

子供のことというよりも、私自身のことを否定されているような気がして。

それが許せなかったんじゃないかな。


 

「またお母さん、指導員さんに怒られたよ。

そういうことすると、お母さんに電話かかってくるんやけん。

ちゃんとやってよ。

指導員さんに迷惑かけないようにしてよ。

お世話になってるんだから。」


 

そんな風に言った記憶があります。


 

なんて傲慢な母親なんでしょうね。

そんな親じゃ、子供に良い影響を与えるわけないですよね。

今思い出すと、本当にサイテー。


 

でもね、私は、そこでそのまま終わりにはしませんでした。

腐ったりはしませんでしたよ。

子供の気持ちになってみよう・・・って、思ったんです。

どうしてそんなに大人に(そのときは主に、学童の指導員さんに対してでしたね)反抗するんだろう・・・って。


 

そしたら、いろんなことが見えてきて。

私は、「預かってもらってるから。」っていうことで、指導員さんには頭が上がらないというか、感謝こそあっても文句なんてひとつも言えませんでした。

だけど、子供の気持ちになってみると、「おかしいんじゃない?」ってこともけっこうあって。


 

そうすると、今度は吾郎の気持ちがよく分かるようになって。

吾郎の気持ちを受け止めてあげることができました。

吾郎は、私に、自分の気持ちを素直に話すようになりました。

今日はこういうことがあって、こういうことが嫌だった、というような小さなことから始まって。

だんだんと、吾郎の抱えているいろんな問題が見えてきました。





 

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