祇園祭まであと1週間! | コバやんの祇園祭レポート&雑記帳

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京都・祇園祭の山鉾町で生まれ育ったおっさんのブログです。

今日(6月24日)の土曜日は大安。

郭巨山の神事始まり(7月1日、吉符入り)を役員にお知らせする回章(かいしょう=回状)を

会長と神事係が役員宅を回って捺印してもらいます。

二枚あって、一枚目には有史以来連綿と続く案内文。

二枚目には捺印をする役員名が並びます。

今年の“案内文”には令和2年から4年にかけての

「悪使流行の疫病入り来たりを祓い除し祈願を兼ねて」の文言がなくなりました。

その後、午前中に集まった会員さんと会所を掃除、今年3回目のチマキ搬入、

そして、吉符入り式の飾り付けをしました。

思い起こせばちょうど1年前の6月24日、改修会所の建物引渡しの日でした。

翌日に所蔵物の再搬入、翌々日に吉符入りの飾り付けと慌ただしくお祭りの準備に入ったのが

昨日のようです。2回目のお飾りとあって、前年の反省点を踏まえながら、

お昼過ぎになんとか形が出来上がりました。

郭巨山の祭事用Tシャツがリニューアルされて本日配られました。以前のは平成17年(2005)に新調したもので平成25年(2013)年に、連続「山一番」の記念に記念印入りで再製作したのですが、いずれにせよ10年経って、最初のものは色あせて古くなってきたのです。

デザインにあたっては、私達(年寄り)はあと何年も着られないので、これから10年以上着る若い人たちにデザインしてもらいました。

向かって右が新調のTシャツです。

 

昨日(6月23日)の京都新聞。

後祭の巡行で南北観音山が隔年で順番を交代する記事です。

元治元年(1864)の禁門の変で罹災するまでは

橋弁慶山:くじ取らずの先頭。

鷹山:くじ取らずのラス前。

大船鉾:くじ取らずのしんがり。

南北観音山は隔年出山(1年交代)で、舁き山と同じく「くじ」を取っていました。

 

禁門の変の罹災から北観音山がまず復興。鳴り物(お囃子)で賑やかに、と先頭を司り、その後、南観音山が復興して、しんがりを勤めた形で合同巡行期も含めて平成25年(2013)まで、翌年の大船鉾復興の後祭7月24日巡行復活以後は橋弁慶山(くじ取らずの先頭)・北観音山・舁き山3基・南観音山・舁き山3基・大船鉾(くじ取らずのしんがり)となって、昨年は復興した鷹山がラス前(慣例くじ取らず)に入った順番でした。

山鉾連合会発行「近世祇園祭山鉾巡行史」を紐解くと、南観音山が橋弁慶山(くじ取らずの先頭)のすぐ後ろを巡行したのは嘉永7年(1854)以来170年ぶり!のこととなります。(記録では明治4年=1871に一番くじを引いていますが元治の罹災で御山復興はその翌年)

 

郭巨山では一昨日(6月22日)洛央小学校(校区内に四条遠以南の山鉾がある)の五年生の校外授業で8人の子供たちが訪れました。

「お祭をしている中で大切にしているものは?」「最近で何か変化は?」「郭巨山の特徴は?」など、それぞれが用意した質問に答える形で進んでいる中、連合会からのチマキが届き、会所への搬入を手伝ってくれました。

 

6月19日(月)、京都市内理容組合の「衛生消毒講習会」が京大病院南側の京都文化芸術会館でありました。

保健センター(保健所)から講師を招いて、衛生法規や消毒法、伝染病、皮膚疾患などの情報を年に一度アップデートしています。

受講者は受講証とステッカーが受けられます。安全、衛生の証ですのでお店選びのご参考に。

 

そのとき、同業仲間から、郭巨山、函谷鉾のミニミニうちわを頂きました。早速、店の飾り棚に仲間入りしました。

一週間後はいよいよ7月1日、吉符入り。カウントダウンひと桁です。