兄弟で綱引き? | コバやんの祇園祭レポート&雑記帳

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京都・祇園祭の山鉾町で生まれ育ったおっさんのブログです。

寒中お見舞い申し上げます

 

大寒も過ぎ、寒さもピークに。

 

そんな中、新型コロナは変異株も出現して五輪開催も危ぶまれ、

ひいては昨年と同様に各地のお祭り、イベントも・・・

 

函谷鉾の祇園囃子の練習も「山鉾巡行開催決定がなされるまで練習自粛」ということで、昨年3月から練習会の開催を見送っています。

 

それでも「何時始まっても」と準備を怠ってはいません。

祇園囃子は鉦、笛、締め太鼓の三種の楽器で奏され、少年期に鉦方、成年となって笛方、太鼓方に分かれます。

函谷鉾では「その道を究めるのを目標」に笛方と太鼓方を兼ねることは認められていません。

締め太鼓ですから練習の前に太鼓を締め、練習後には皮が伸びないように紐を緩めます。

太鼓を締めあげるのは若手の役目。若手というのは太鼓方キャリアの若い順に4~5名が当り、その中での先輩が新米に締め方を教えます。

 

函谷鉾の太鼓は、きつく締めあげる(カーン、コーンという音)のがモットー。

したがって太鼓を締める麻紐の消耗が激しいのです。

締める麻紐を「調べ」といい、上下2枚の皮を胴と繋いで締めるのが縦調べ、その回りをベルトのように締めるのが上調べといいます。

縦調べのときに皮の縁の穴で擦り減ったり、上調べを締めるときの力で切れたりします。

きつく締めるので「調べ」が新品のときには練習開始早々に伸びて緩み、音がこもります。

「でんでん太鼓や!」と先輩に叱られます。

 

で、新品(一柄=一組、写真は2万円)を下ろすときには前もって引っ張って、少しでも伸び率を抑えます。

現在、次男が若手の先輩格。中堅となった長男(親が言うのだから間違いない)がたまたま来訪してきたので、兄弟で引っ張り、なじむようにしました。

 

郭巨山保存会の平岡理事長が「家の中を整理していたら函谷鉾の扇子が出てきた」と届けてくれはりました。昭和中期のもので、以前に投稿した扇子図柄になかったものもありました。

 

月鉾のものも数点ありました。

 

時期が遅くなりましたが、お正月休みはいかが過ごされましたか。

 

三が日は両親が正月出勤のため孫のお相手でした。

4日、いよいよプラモデル製作にかかりました。

脳梗塞で右手が不自由となった小学校同級生が「いつか作ろうと買っておいたけど、代わりに作ってくれ」と頂いたプラモデルです。

我々世代には懐かしい、ノースアメリカンP51Sムスタング。

小学校時代、それは沢山作りました。

ゼロ戦、隼、紫電改、飛燕。大和、武蔵、伊勢。グラマンもムスタングもスピットファイアもメッサーシュミットも。そうそう、小学3年生のクリスマス、枕元には新幹線のプラモデルが置いてありました。車ではロータス、フェラーリV8、アストンマーチン(007仕様)、トライアンフ、トヨタGTなども。

三条商店街の京都模型にはよく通いました。

 

しばらく空いて、28歳のときに当時乗っていたホンダVT250Fを作ったのが最後でした。(息子が子供のころ四駆が流行って手伝ったぐらい)

 

友達の代行なのでしっかり作らねば、と、塗料も揃えて、クイズ脳ベルSHOWが終わって風呂に入ってからの午後11時半ごろからチマチマと、接着してから塗装したり、塗装してから接着したり、

塗装が乾く時間、接着が完了する時間もあって、2週間かかりました(☆マークなどのマーキングシールは古くて水に漬けても剥がれず、自分でシールを作って貼りました)。

お祭と同じで、始まると終わりに向かって進んでいくのが、なんとも・・・

 

でもプラモデルは完成品が残ります。

次はもう一つ頂いたメッサーシュミットに挑戦です。