この日、世間では入籍するカップルが多かったんだってね。
そんな目出度い中、私は命と引き換えに子宮を摘出した。
子宮頸癌。
26歳の時に子宮頸癌検査でクラスⅢaと診断され、円錐切除を受けずに冷凍凝固治療を開始するが、経過はⅢaとⅢbをいったりきたり。
面倒臭いのが手伝って、最後の治療から約3年放置。
そう。
私は自分の手で癌を育て上げた。
そして、去年の今日。
自分の身体を大事に出来なかった代償として子宮を失った。
![飼い主のぐぅたら闘病日記-2012111011540001.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20121110/12/718121/1e/83/j/t02200392_0240042812278869605.jpg?caw=800)
紹介状を貰うや否や何を血迷ったのか、開封厳禁の掟を破り勝手にコピー(笑)
━ 2011年10月13日(土)
九州大学病院にて、子宮頸癌と宣告された。
治療を途中で放り出していたので、確実に進行しているのは自分でも分かっていた。
知らず知らずの内に、心の準備が出来ていたのだろう。
癌だと云う現実を突き付けられても『やっぱりな』と思っただけで驚きもしなかったし、悲しいとも思わなかった。
それどころか、癌でも私はまだ初期だろうから大丈夫って根拠の無い自信があった。
高を括っていた。
━ 2011年11月11日(金)AM11:00
子宮頸癌Ⅰb1期
(扁平上皮癌)
初期の癌では無かった私の身体にメスが入り、
広汎子宮全摘出
骨盤リンパ節郭清
傍大動脈リンパ節生検
が施された。
“広汎子宮全摘出”は婦人科で一番大きな手術。
麻酔・覚醒を合わせて7時間半かかった。
次の日が誕生日だった私。
もちろんそれどころではなく、只々、必死に痛みに耐え、苦しみもがいた。
手術なんてしなきゃ良かったと、何度も思った。
術後2日目に携帯の電源を入れると、何百人ものアメブロ仲間からメッセージが届いた。
次から次にメール受信する携帯に『この人達、私の電話回線をパンクさせる気?(笑)』と怖くなり、思わずまた電源を切る(笑)
“手術お疲れさま”
“お誕生日おめでとう”
正直、涙で前が見えなかったよ。
自分を奮い立たせ、みんなの気持ちを背負って歩行訓練を頑張った。
あんなに頑張れたのは、みんなの応援があったから。
ありがとう。
保護しているメッセージは宝物。
お金では決して買えない私の財産。
そして、私の長時間の手術に携わって下さった医療関係の皆さま。
特に執刀して下さったK先生とらぶ主治医。
私にとってあなた方は神様以上の存在です。
助けて貰ったこと、一生忘れません。
最後に、私を検診へ強制連行してくれたおっさん。
あの日が無ければ、私は間違いなく3年後には生きていなかったでしょう。
あなたに出逢わなければ、きっと今も検診へ行っていないと思うから。
あなたは命の恩人。
誰よりも感謝しています。
まさか自分が癌になるなんて…
夢にも思っていなかった。
昨日は健康、今日は癌。
きっと、よくあることなのでしょう。
このブログを読んでも尚、まだ心のどこかで他人事だと思っている方も多いはず。
だって、私がそうだったから(笑)
(*/∀\*)
でもね、大切なものを失ってから気付くなんて寂し過ぎるよ。
だから、声を大にして言いたい。
明日は我が身ってね!(笑)
(\゚Д゚/)
そうならない為にも何をするべきか、もう分かるよね?
癌に限らず、病気とは常に隣り合わせだと云うことを忘れないで。
【飼い主のぐぅたら闘病日記】
このブログを開設して1年3ヶ月。
みんなとの付き合いも深くなったので…
![飼い主のぐぅたら闘病日記-P1000700.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20121110/12/718121/2f/bd/j/t02200392_0240042812278869612.jpg?caw=800)
私だ(笑)
━ 2011年12月29日
術後1ヶ月と17日目に撮ったやつ。
腹傷のせいで美容室にも行けず髪もだらしなく伸び切っており、例の4㎏増の時期なのであちこちパンパン(笑)
癌になった私。
結構、気に入ってるんだ。
こんな人生もありかなーって、思えるようになった。
だから私は大丈夫。
それに負けん気だけは強いので!(笑)
(*´皿`*)v
こんな私だけど、
これからもヨロシクね。
みんな、愛してるよ!
(◎゚Д゚◎)ノ
明日は術後1年記念日。
そして35回目のBirthday。
何食べっかなー。
(∩´∀`∩)
※2011年11月11日(金)11:00に予定されていた私の手術でしたが、実際は前の方の手術が長引き12:00スタートでした。
験担ぎの為に、ぞろ目の予定時間をそのまま記載しております。