歌人笹井宏之を知る | ここはいいところ

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「ここはいいところ」の「ここ」は私が行った場所であり、人生の一場面でもあります。
人生という旅のなかで、自分がよかったと思ったところやことを記録し、人に伝わればいいなと思います。
1か月に2~3回は新しいブログを書きたいと思います。

 短歌の話です。興味のない方はスルーしてください。

 

 俳人の小津夜景さんのブログ『小津夜景日記』で知って、6月上旬、三省堂書店神保町本店の「作家のプロフと愛読書展」に行きました。小津さんも参加されちましたが、参加されている人は若い書き手が多く、興味深いものでした。そこで、誰かの愛読書の紹介に笹井宏之著『えーえんとくちから』がありました。変わった書名に引かれて手に取ったところ、笹井宏之は難病にかかって高校も中退し、2009年1月に26歳で夭折した方でした。

 短歌は縁遠いのですが、数ページをめくっただけで惹きつけられる歌がいくつもありました。それはみずみずしく傷つきやすい感性から紡ぎ出された、生の不安、意識の揺らぎなどを感じる歌のように思え、購入しました。笹井宏之の短歌界における評価などはわかりませんし、短歌の技巧などは知りません。しかし、とにかく、四捨五入すれば70歳に近い老人である私が、めろめろになって、手放しで笹井宏之のファンになってしまいました。

 なお、『えーえんとくちから』は「えーえんと口から」ではなく、「永遠解く力」でした。

 

 このほかに横浜市立図書館から笹井宏之の著書『ひとさらい』『てんとろり』も借りました。『八月のフルート奏者』は所蔵していませんでした(神奈川県立図書館も)。当然返却しなければならないので、気に入った歌は入力しました。

 

『ひとさらい』(書肆侃侃房 2011年)から

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

しっとりとつめたいまくらにんげんにうまれたことがあったのだろう

からだだとおもっていたらもっともっとはいっていっていきなり熱い

内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす

別段、死んでからでも遅くないことの一つをあなたが為した

野菜売るおばさんが「意味いらんかねぇ、いらんよねぇ」と畑へ帰る

ジョギングのおじさん、ついに抒情するときです かなり発揮できます

ブレーキにさわってみたら思想だと気づいたときの晴れのち曇り

神奈川で存在感が立ち上がりタバコをふた箱ばかり求めた

胃のなかでくだもの死んでしまったら、人ってときに墓なんですね

(内、6句は『えーえんとくちから』にも収載)

 

『てんとろり』(書肆侃侃房 2011年)から

ながいながい療養 <前書き>

  ひまわりの亡骸を抱きしめたままいくつもの線路を越えてゆく"

ひとりずつひかりはじめてもうだれも街を流れる星なのでした

からだじゅうすきまだらけのひとなので風の鳴るのがとてもたのしい

ひらがなであったおとこが夕立とともに漢字に戻りはじめる

あなたからわたしへ移りゆく夢の破片のような魚をすくう

しおみずと真水の違いでしかない私たち ただ坂を下った

かなしみが冬のひなたにおいてある世界にひとり目覚めてしまう

死んだことありますかってきいてくるティッシュ配りのおとこを殴る

かなしみにふれているのにあたたかい わたしもう壊れているのかも

ひきだしの奥に小さな温泉が沸いているのを見つけてしまう

crisis<前書き> 

  農協と恋愛がどうちがうかを夜毎に訊きにくるえいりあん

たましいのやどらなかったことばにもきちんとおとむらいをだしてやる

いくとせも鏡のなかを歩みゐる我とけふまた目を合はせけり

(内、1句(たぶん)は『えーえんとくちから』にも収載)

 

『えーえんとくちから』(ちくま文庫 2019年)からも気に入った歌は入力しました。気に入った歌、気になる歌ばかりなのですが……。

真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ

ひまわりの死んでいるのを抱きおこす 季節をひとつ弔うように

食パンの耳をまんべんなくかじる 祈りとはそういうものだろう

晩年のあなたに窓をとりつけて日が暮れるまで磨いていたい

からだにはいのちがひとつ入ってて水と食事を求めたりする

切れやすい糸でむすんでおきましょう いつかくるさようならのために

悲しみでみたされているバルーンを ごめん、あなたの空に置いたの

今夜から月がふたつになるような気がしませんか 気がしませんか

人類がティッシュの箱をおりたたむ そこには愛がありましたとさ

わたくしは水と炭素と少々の存在感で生きております

さあここであなたは海になりなさい 鞄は持っていてあげるから

ゆっくりと国旗を脱いだあなたからほどよい夏の香りがします

火星にも日暮れどきがあるでしょう パスタを軽く巻いているあなたは

愛します 眼鏡 くつひも ネクターの桃味 死んだあとのくるぶし

わたしだけ道行くひとになれなくてポストのわきでくちをあけてる

つきつめてゆけばあなたがドアノブであることを認めざるをえない

眠りから覚めても此処がうつつだといふのは少し待て鷺がいる

くぎ抜きで君を抜いたらそのあとの愛が縦穴状で鋭い

しあきたし、ぜつぼうごっこはやめにしておとといからの食器を洗う

小説のなかで平和に暮らしているおじさんをやや折り曲げてみる

生涯をかけて砂場の砂になる練習をしている子どもたち

本棚に戻されたなら本としてあらゆるゆびを待つのでしょうね

たっぷりと春を含んだ日溜まりであなたの夢と少し繋がる

さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに

風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが

冬の野をことばの雨がおおうとき人はほんらい栞だと知る

運河へとわたしのえびが脱皮する いろんな人を傷つけました

白砂をひかりのような舟ゆき なんてしずかな私だろうか

本の全体の9割は短歌ですが、残り1割はエッセイと俳句と詩です。この人、今生きていたら、否、あと十年生きていたら、どんな作品を作ったのだろう、と思います。以下は俳句です。

蟬落ちるあなたが埋まるはずの土地

(ひまわりが比喩からもどります)どうぞ

蛇の舌抜いてあかるい道をゆく

かまきりの鎌のみ落ちている歩道

 

 笹井宏之を調べていくと、次のようなことがわかりました。本名は筒井宏之。お父上は有田焼の窯元で碗琴奏者でもある筒井孝司さんで、私より3歳上。笹井宏之は難病ではありましたが、インフルエンザによる高熱で亡くなったそうです。また、「碗琴」とは有田焼のお碗を31個並べ、木琴用のばちでたたいてメロディーを奏でる演奏方法だそうです。

 

 『えーえんとくちから』はちくま文庫(税込748円)です。興味を持った方はぜひ手にとってみてください。