2019年1月20日、三ノ輪から南千住を歩きました。
都電で荒川一中前を降りると人だかりがして、神輿を担いでいました。
テレビ番組を見て楽しそうだと思って行った商店街「ジョイフル三ノ輪」は半分くらいの店が開いていませんでしたが、総菜屋で大きな牡蠣焼きや天ぷらなどを買いました。何軒かある八百屋は安く、キムチも気になりました。
浄閑寺は静かでした。遊女が祀られているという新吉原総霊塔、1982年に倉田辰蔵氏が中心になって建造したひまわり地蔵尊の写真です。
明治維新の際、1968年5月5日に彰義隊と官軍の戦闘が上野の寛永寺でありました。その激戦地、寛永寺の入口にあった黒門が円通寺に移されていました。無数の弾痕がありました。彰義隊士の墓もあります。上野山内で荼毘に付し埋葬したそうです。
こちらは南千住駅に近い小塚原の豊国山回向院。1667年、本所回向院の住職の弟が小塚原の刑場の傍らに開いた寺だそうです。橋本佐内ほか、吉田松陰、頼三樹三郎、高橋お伝、ねずみ小僧、さらにはプロレスラー、カール・ゴッチの墓もありました。
写真の説明板は光が入ってしまいましたが、杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らがここで行われた腑分けを見て、それがオランダ語の『ターヘル・アナトミア』の図と同じであることに驚き、翻訳に取り組んで『解体新書』になったと書かれていました。
なお、山門左には吉展地蔵尊がありました。吉展ちゃん事件は1963年3月31日に入谷南公園を最後に誘拐され身代金を要求された事件で、大々的に報道されました。結果的には、1965年7月5日、円通寺で白骨化した遺体が発見されました。犯人は誘拐した夜に、この円通寺の境内で殺して埋めたそうです。
このあたり、山谷も吉原もあり、有名な鰻屋、喫茶店、その他もろもろ、私にとっては大変興味深いところです。