『闇にありて道を成す世界!』
闇にいて、光に奉仕する世界あり。
鬼と化して悪なる者を正し戒め、光と覚め帰す、悪霊の如く言われても、その姿をあらわして悪と迷う者を正すならば、光へと奉仕する者達なり。
童話にある、舌切り雀の意地悪婆さんを正した葛篭の中のお化け達はなにか。
こぶ取り爺さんの意地悪、欲深悪爺さんを正し戒めた鬼達はなにか。
ともに悪にあらずして、光と覚めかえす世界の光へと奉仕する者達これなり。
されば、悪魔、魔王はその闇と住して、全ての悪心、邪心、無知を正して光とかえす大王、大神となるなり。
魔王に玉無くしては王とはなれぬなり。
玉とは摩尼宝珠にして、神性、仏性とも教える命の玉なり。
これと開き持たずして、真の王とは言えぬなり。
王の座を玉座と言いて、摩尼と開きて命と覚め悟りた者を本来あらわすなり。
皆、よく知る事なり。
鬼みな悪道と落ちし者達を戒め正して本来の命とかえすを道となすなり。
その王たるはまたゆえに、王中の王にして、大と全てを救い正する王これなり。
我この道の理をよく知る者ゆえに、魔王の真の命も知りゆくなり。
衆生これの解せずして、その道の真の意味また解せぬなり。
よくよく道と覚め悟りて真の神のつくりし道こそを知る事なり。
月は闇の中にあってその闇を照らすなり、その月たる神性と覚め開きて、闇の命を光と帰さんとして輝くなり。
されば、その闇を照らす王はまた神と言うなり。
その月、そこより更に精進して太陽と生まれるを道とするなり。
その太陽と生まれた者を大いなる神と言い、一神大悟と至り完成した者と言うなり。
この甚深微妙を人は理解出来ないのである。
悪と迷い落ちた者達を戒め正して救う為に神は、道と
して、そのような世界をおいたのである。
人は悪と迷うのは自分達の中で、鬼も、魔王も、命の道の為に存在するを知る事なり。
『憎しみを許し、恨みを許し、怒りを許し、その無知無明の命を哀れみ許し、この許しの道にある存在を知る事なり。
この真の許しを知る者を、天の心と道に覚めた人と言うなり。』
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌