『阿』
『阿(あ・A)無くして一切是れ無し。
『あ』無くして『い・う・え・お』の五母音これ無きなり。
さればそれに連なる『子音』一切は生ぜず。
一切生ぜずば、声字(音声言語・文字言語)これの無くして、一切の文字、言語、名、言葉、一切また生まれず。
ゆえに『あ』をして主と言い、一切の初めと言い、『元・源』と言うなり。
我はこの『あ・阿』をして一切とこれを言い、一切とこれを説き教えるなり。
我の本処は『あ・阿』にして、我の名はまた『あ・阿』これなりと申せば、我は即ち『主』ともなるなり。
さればこの世界天地また我と一如となるなり。
この第一義を解せずして真の一神教の一神、仏教の一乗仏とは言えぬなり。
元の一あるに二と生じ、三と生じ、四と生じ、五字と生ずるなり。
それが太陽毘盧遮那、大日如来の大正法、阿毘羅吽欠なり。
これをとけば太陽宇宙の全てが太陽の法となるなり。
すなわち全となるなり。
地・水・火・風・空・識の五大、六大これなりて、土・水・火・木・金の五行もこれなり。
七曜の、日と、月・火・水・木・金・土の星と世界天地またこれなり。
水・金・地・火・木・土・天・海・冥もまたこれなり。
この五字を開けば一切となり、その一切の親にして、主はこれ『あ・阿』なり。
それを我は太陽宇宙界の太陽日輪、太陽神と示すのである。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌