『人生とは』
人生とは、人を生きる事であり、人以外のものと落ちて生きる事ではない。
それなのに人は、修羅と生き、畜生と生き、餓鬼と生き、地獄と生き、人以外の獣、悪魔ともなる。
それを人生と言う事こそ、おかしいと気づかないのである。
人生とは、人と生む事であり、人と生かす事であり、生かしめる事である。
人と生み、生かし、生かしめ、生きなくしてなんの人生と言えようか!
人と生き、成長し、進歩と高揚なさずして人生は人生にならぬとこれを知る事なり。
命は進歩せしめて高揚せしめて輝かすから、命と成るのである。
その為に磨き、叩き、鍛え、人生を生きるのである。
その真なる人を生きる事が、真実の生きがいと知る者こそ、覚めた人と言うのである。
刃物は磨ぎ、磨がなければ切れなくなる。
宝石も、原石のままでは価値を生じない。
磨き、磨きて、形づくるに、輝きゆくと示すなり。
なんの、人の命においてこれを忘ると申すなり。
人生とは、人と生まれる事であり、生む事である。
真実なる人と生み、生れたのが、仏陀と言うのである。
ゆえに、この人をこそ、先に生れた人と言い、先生と言うのである。
人、この人生という意味を早く覚めなさいと言うのである。
人生、人と生み生きる、人(ひと)とは、日人なりて、人生とは、日とひとつに生きる。
日と生み、日と生かし、日と生まれて生きるを最極の人生なると教えるなり。
すなわち、太陽とひとつに覚めて生きるところに、人生の究極がおさまりなると示すなり。
仏陀、神々全ての教えも、但、これに尽きると示すなり。
真理の光明、大日と一如となして生き、大日と生み、大日と生かし、大日と成る。
これが人生最大の道であり、高揚であり、進歩の体である。
生きがいの全てはまた、ここにして極まるのである。
それが人生の本末究竟なのである。
人は人として生きなさい!
人は人として自らを生かし生みなさい!
人は人として本当の人と生まれなさい。
その為に、この世に修行に来ているのですから。
迷いの闇に生きず真実の人と生まれて天と帰りなさい。
人間形成人間完成の為に生まれて来たのですから。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌