『除夜の鐘!』
「百八の、煩悩突きしその鐘は、突きて押し出し、諸行無常と!」
「生じゆく、ものみな全て滅しゆく、煩悩多き、人よ覚めて!」
「突きゆきて、響き無常のその鐘の、心探せば、内にありたり!」
「自らの、煩悩突きて祓いゆく、無常の響き、空と滅して!」
「去る年の、心清めて除夜の鐘、百と八つで、清め清めて!」
「人の内、心の悪の魔を祓い、悪を除けと、鐘は響いて!」
「除夜の鐘、天地響きて鳴り渡り、悪を除いて、悪を清めて!」
「百八の、悪を祓いて除夜の鐘、願い百八、こめて天地に!」
「ひと突きの、鐘に願いをこめゆきて、天地響かせ、平和願いて!」
「百八の、鐘の音聞きて自らの、心の悪を、除き棄てゆき!」
「除夜の鐘、来る年幸の多かれと、天に祈りて、心正して!」
除夜とは読みて字の如く、夜を除く事を教えるなり!
夜が除かれ去ると、朝の光明が生まれきます。
その眠りから覚めるから、命の目覚めがきます!
この真の覚めをそこに教えているのです。
その命の闇、無知無明を自らの内より突き出して真の命を取り戻す智慧と覚める!
その沢山ある煩悩、すなわち煩い、悩みを気づき覚める!
それを除夜の鐘と突く形と例えて人々に教えているのです。
ただ鐘を突くだけではなく、その一音一音に自らの心を見直し、迷える自分に気づきゆく
!
これこそがその意味であり、肝心なのです。
人々は、その心への教えこそ知らなくてはならないのです。
夜、闇、すなわち自らの心なんでも知っているつもりの迷いから、覚めることを鐘の音に託して教えているのです。
夜、闇の中にいては、なにも真実が見れません!
ゆえに人々は光を求めて彷徨うのです。
その自らの内なる闇、その無知無明を取り除き、光と覚めた命と帰るのです。
除夜と突き出し、朝の覚めを実と得る!
そのゆえに明くる日を新年と言うのです!
新たな覚めた自分の誕生、それを新年と言うのです。
人々は、夜あけの太陽に向かいて祈り、新年(新たな命・新たな年)を、初日に向かい祈るのです。
この初日、太陽が全ての初めとそこに教えているのです。
この心が新年の祈りと人々にとって一番大切なのです。
太陽の神は、その行事の中に、人間の道を教えているのです。
このように全ての中に命のあるべき道と心を教えてくれている事に人々は気づかなくてはならないのです。
日々、太陽に詣で手を合わせて祈る!
人々は思いださねばならないのです。
私はゆえに全てを太陽の世界の、太陽の法と教え説いて説くのです。
その自らの命の闇に気づきなさい!
自らの無知無明に気づきなさい!
私はその為に、太陽神と共に教えを説いて示しているのですから、早く覚めなさい!
その迷いた自分に気づきなさい。
それを天と共に待っているのですから。
『私の教えにふれる者達こそ幸いなり!
神の光はその者達と共にあるのですから!』
『偉大なる救世(メシ一)の法は、日の国の、日の法によって保持されるであろう。
ゆえに私は、メシアの(ア)を主と教え、このアをして全ての初めと教えるのです。
この(あ・ア・A)をして、太陽主と教えているのです。
太陽宇宙の主であり神を、全ての初め、(ア・あ・A)と教えているのです!』
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌