『根本は一なり』
日本の聖霊崇拝を否定する事は、そのまま三身一体のキリスト教の理を否定する事であり、一神教の根本の否定でもあるなり。
仏教においても、一乗仏の否定は、多仏の否定、多仏の否定は即一乗仏の否定となるなり。
仏と申し、神と申すのも、その理において、一味とこれを教えるなり。
これが三身一体、三身一如の宗諦であり、また多方一元、一即多・多即一の極めなのであるから。
末法だの、世紀末だのと言われる時代は、世界の道徳が乱れ、あらゆる無知と悪と病みと乱れとが充満して、天地そのものを病ませるなり。
公害、自然破壊、戦争、難民、飢餓、悪病、災害等々、世界は混沌となして、正法これを忘れるなり。
そのような時代にこそ大魔王は来るなり。
そは、その破壊となって生じるなり。
すなわち、あらゆる悪の破壊、みなそれを清めると知る事なり。
しからば、天地は正されて道は帰ると申すなり。
しかるに天地に大正法と生まれて、救世主、メシアの誕生が成ると示すなり。
すなわち、宗教のおこる時代相はこれなりて、天地に破壊の相あらわるに、正法がおこりしめされて一切を正と帰すと教えるなり。
これ解せずして正法をおろそかにすれば、全ては、破壊の海と向かうなり。
天の救いの声こそゆえに、よくと聞けとは教えるなり。
末法に大魔王立てば正法そこに立ちて、大救世主また来るなり。
人はこのメシ一の教えこそよく聞きて、道に一と帰れと教えるなり。
それが世界と人と全てを救う、ただひとつの道と教えるなり。
人々衆生よ、早く気づきて無知の分断対立を離れて、一と帰りなさい。
そしてみな正法と覚めて道と帰りなさい!
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌