太陽一如こそ全て | 太陽王法の会


『太陽一如こそ全て』


法は但、太陽と一如となる事なり。

太陽に向かいて禅定し、祈り求めて、ひとつになるを求めよ。

宗教の法と道は全て、ここにひとつと極まるなり。

偉大なる大神秘、太陽の法を体験し、その悟りへの道を見た者は、全てが解せる者と生まれるのである。

ここと至りた者こそ、私の教えるところを、真実と知る者となるのである。

そこより更に全ての宗教と見じ見つめば、全てを知れる者となるのである。

そこに太陽の親族としての御子神の誕生はなり、真の仏陀が生まれるのである。

太陽は真実、その命を導き下さるのであるから、これを信じられる者は幸いである。   

宗教の道において、すでに高く歩いている者も、今だ低く歩いている者も、その中間にある者も、上にある者も、下にある者も、みな同じ道を歩いているのであるから、互いに決して軽んじたり蔑ろにしたり、卑下誹謗したりして争ってはならない。

全ての宗教の者はみなひとつの真理を目指して、ともにひとつの道をゆく者達なのであるから。

神道は神の道なるにその道は一道にして万道なり。

天地万道遍くあろうとも、その道はみな一と通じてこそ正道これなり。

全ての道が神道の道なるに、一道万道悉くみな神道なるとは知る事なり。

一道を極めればこれ万道に通じるなり。

真如(神)の一道一切なるに万道これなり。

すなわち、仏道、仙道、華道、武道、茶道、芸道、等々全ての道、万道とありても、みなその一道を極めれば、真理大理と帰るに、神道の一とこれ申するなり。

道、万道と開かれてもその本は一なるに、みな一と連なり一とは示すなり。

そは生命と一なる血の道の如くとこれを教えるなり。

天地万界を一本の
木とたとえて示せば、枝、万枝あろうとその幹は一とはこれを示すなり。

その幹本道にみな、一とはこれを示すなり。

その本なる道を真理(神)の道とは言うなり。

ゆえに神道は全て対立せず、一と成すとは示すなり。

神道家はこれを決して忘れてならぬと示すなり。

全てを神と見聞して知りゆくが神道家の道の務めと教えるなり。

私の心と私の教えは、自らの心の中にそれを探しそれを得るべし。

それを真実得る者こそ全てを得、全てを知る者と言うなり。

真理神秘門を開いて、真の悟りと至れと言うなり。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌