『至りたくば』
真実の仏陀と至りたくば全ての対立を棄てよ。
真実の一神大覚の神と至りたくば、全ての対立を棄てよ。
そして全の即一こそ知るべし。
宗の対立をなす者ゆえに全てそこと至りがたし。
宗は、全一元と読むのであるから。
大日はその大いなるところで法を説くのであり、衆生一切の計らいを超えた一の坐処で、法と示すと知る事なり。
衆生の小さな計らいの物差しで、この大日を量るのは意味なき事ゆえに、それはやめよと教えるなり。
それより、自らがそこと至るを命とめざせと教えるなり。
月輪と住する仏・菩薩の光明の本地はこれ太陽大日なり。
この当たり前の実相こそをよくと知れと言うなり。
胎蔵とは、月の台と示して是れ胎と言うなり。
これすなわち、月と結びて一となす意にして、衆生一々の自身一命の胎これなり。
日月の明の理と解して月氏自身と写すは是れ、大円鏡智の妙なり。
すなわちみなその本体は太陽なりて、その法身法界神仏をこそ大日如来とは言うなり。
闇夜に月是れ、煩悩即菩提、凡聖一如の体と示すなり。
すなわち、衆生一切の命これなり。
されば、その命、月と磨けと言うなり。
その光、太陽ありて輝くと知れば、一切の宗、一切神仏の極のその道知りゆくなり。
青空に雲、これまた、衆生の心とこれを知る事なり。
これともに、法身如来の一経なると知る事なり。
真如は天地に一経これを説くなり。
それ読むは命これなり。
自身一命と写して天地これを読むは、ゆえに命を読むと教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌