『真実の宗教とは 34』
宇宙法界神仏の諦を一文字の字をもってあらわせば、宗の一文字をもって他に存在しないのである。
宗とはその天地宇宙、大自然、万物と集めたところの大元の一であり、宇宙法界そのものである。
ゆえにその宗の教えを、真理真如の教えと言うのであり。
宇宙真理の教え、全てこの一文字の中に含まれるのであり、全ての神仏の教えまたこの一文字の中に含まれるのである。
教えとは、それを開示知らしめ、相手をして理解なさしめるをもって真の教えと言うのである。
宗たる法界真如、即ち正しくは、一乗一神仏の教えを開示し、万人に知らしめ、それを理解なさしめてこそ宗の宗たる真の理念に添うのであり、それゆえに宗教の一たる真が、そこに大調和なすのである。
全ての宗教とは、みなこの大元の宗より至りて始まり、この大元一の宗へと帰するのである。
その大理を愚かにも、宗教人として生きる人々が忘れてしまっているのである。
それゆえ宗と言う宇宙真理大元の上に名をかぶせるなどと言う大愚をなしゆくのである。
その大理が解らぬゆえに、名の下や教の下に宗をおきて、真実の宗を理解できないのである。
この大元一の真諦、法身諦たる宗を知らずに、完成した宗教家とは言えぬのである。
宗とはこの法界全ての大元である。
ゆえにその大元真理の教えを、宗の教えと言い、宗教と言うのである。
本来宗教はみなひとつであり、ひとつと至るのである。
その宗を下におきて何々宗と名乗りゆく事は、みな本来まちがいなのである。
宇宙大元の真理を個々の一と定めるのも誤ちであり、一つの教えとしてしまうのも誤ちである。
何々宗と名乗る事は、その何々がこの宇宙大元の真理そのものとなるのである。
よく考える事である。
それを誤つから、門や派を違えて争う愚かをなすのである。
それはみな迷いなのである。
宗が本来の一たるを覚めれば、そこに争いなど絶対におきず、生まれないのである。
宇宙一如大調和であり、天地一如大調和であり、全て一如の大調和である。
一乗の教えとはそれを教えるのであり、それを真諦の悟りと言うのである。
宗教とは宗の教えであり、宗とは宇宙大真理である。
ゆえに神の世界の教えも、仏の世界の教えも、みな最後にはひとつへと至りゆくのである。
全ては、そこから至りてそこへ帰りゆくのであるから。
仏教の世界宗をたがえてあつかい、争い差別して競う事は大きな誤ちである。
神の世界、宗をたがえて争い差別し分け競いゆく事は大きな誤ちである。
神世界、仏世界これまた二つに分断して宗をたがえて争い差別し競う事、これまた大きな誤ちである。
宇宙大元とは一なのである。
宇宙真理とは一なのである。
この宇宙と、この天地と太陽が人類にひとつであるように、また万物にひとつであるように、太陽宇宙はひとつなのである。
ゆえに宗とは大元真理であり、絶対の一を言うのである。
宗教家は早く法の真理を覚めて、またこの世界の実を覚めて全て一へと大調和なして、万民を道へと導き、平和と、安心幸せな天国浄土へと導く事である。
それが人の生きる道であり、宗の目的なのであるから、この世界全ての道なのであるから。
宗教世界は宗たる真理を教える世界である。
ゆえに宗教の下に何々教と名乗りたるは正しいのであり、何々門と名乗りたるも正しいのである。
その教え、その門より宗たる真と目指すのであるから。
宗教の完成なしたるは、宇宙大真理と覚めて悟り、完成なす事を言うのである。
この完成なす事は、個々、一と片よる事は絶対ないのである。
宇宙即我、宇宙一如となしゆく事であり、覚め悟る事であるから、それをわからぬ者達が慢じて何々宗などと名乗りて、分けへだてて競いゆくのである。
それそのものをしてそのまま宗の根本に反している事すら知らぬのである。
ゆえに正しくは、宗教の中の何々教、何々門が正しいのである。
釈迦如来は大いなる真理と至りて悟り、宇宙即我一如体得なして、大智慧と開きたのである。
その仏でさえ、仏教と名乗りて宗の下に教を示したのである。
もし仮に仏教が宗を名乗るならば、全てひとつであらねばならない。
ゆえにあえて示すなら仏教宗である。
しかし正しくは、宗教、仏教仏道これが正しいのである。
真理をただの学問と思いて真と覚めぬから、この正しい大理が誰にもわからないのである。
仏は宗と一如と至りても教として仏教を示すのである。
その仏教は、最後はみな一乗神仏の教えを示すのである。
それが宗の教えの開示である。
その宗の開示至りて道を得ると、その宗は宇宙と広がりて全てと一如となすのである。
そこに仏智無限と開くのである。
神の教え、神教、神道もまた最後にはみな宇宙法界一乗一神の教えを示すのである。
そこと至るゆえに宗は、宇宙一如と大調和と至るのである。
ゆえに全ては絶対なる一、宇宙大元真たる宗へといたるのである。
ゆえにそれを宇宙大乗一乗、天地一宗神仏道と言うのである。
何々宗と個々に名乗りて道をゆくのは、その小さな宗門によりて道をゆくが如きである。
ゆえにその宗を正しく言えば、大乗真諦たる本来の大元宗へと至る為の船であり、それをして最などと名乗りまた言う事こそ大愚である。
その宗を宇宙法界大元とするならば、全てに分け隔てをなくした真実と至る事であり、法界全てをそこに示す事である。
宇宙大真理が、個人や、個々の教えで決しておさめられるものではない事を、当たり前に早く覚め、和してひとつに大調和なす事である。
『宗これ大元なり。
ゆえに天地宇宙万物集めたる全ての大元一をして是れと言うなり。
これを宗の真実と言うなり。』
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌