『真実の宗教とは 35』
(大乗一乗の理)
大乗一乗の眼で見れば道は全ての中にあり、すべての中にとどまるのである。
ゆえに智慧無限と開けるのである。
一方の目でしか見えぬ者と、千眼天眼をもって全てを見る者と、どちらが正か、当たり前にわかるであろう。
まさに如来は全ての中に道を見る眼をもつのである。
なぜならば大乗一乗の真理は全て一如なのであるから、道は全ての中にとどまっているのである。
その道を開くのを悟りと言い、真の開眼と言うのであり、仏智の開顕と言うのである。
『正道』
百草百花はそのまま世界を教えている。
花みな咲きゆく種子をそなえもっているのである。
そしてその花を咲かせる事で道を教え、真を教えるのである。
全てに正しい道にそいて、真理法性の花を開きなさいと言うのである。
またそこに花は、咲く事のできぬ弱い花をあらわして見せ、人々よ、そのような花を助けて、無事に咲かせてやりなさいと教えるのである。
人には智慧があり、手があり、心がある。
だから人は誰にでもそれをなせるのである。
その手助けをなせと菩薩天人、神仏は教えるのである。
法性蓮華の花を全てが咲きそろえば、この上ない天国浄土となるの
である。
これを大調和と言うのである。
ゆえに花はそのままで人に全てを教えているのである。
人はこのようによくそれを命に写して学ぶ事である。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌