真実の宗教とは33 | 太陽王法の会


『真実の宗教とは 33』


宗教の組織が大きくなると排他主義が大きくなり、権力が生まれる。

その者達は、自分達が無知無明の闇と落ちる事が見えぬなり。

それを哀れと言うのである。

宗とは一切なり。

ゆえに宗教が宗教の形を越えたところにこそ、真実の宗は生まれて宗教は確立するのである。

既成の宗教を超えられぬ内は、ゆえに真の宗教を誰一人として手にする事はできぬなり。

宗教の極みは、仏教は宇宙即我であり、真諦法界体性智であり、一乗仏と至り、無上最上義と至る事なり。

神教はまた宇宙一神であり、宇宙即我なりて、真諦一如と至るを示すなり。

これを真実の一神教とは言うなり。

ともに最と至は、宇宙一如と実と体験体得する事なり。

ゆえにその宗教は一切であり、一切と含まなくしては、実の成立はなさぬなり。

ゆえに宗教の形を超えて全てを一となすところにこそ、真実の宗教はあり、既成の宗教を超えられぬ内は真の宗教とは申せぬなり。

宗とは一切なりて、全てなり。

ここと至らずば誰も真の宗教を手にする事はできぬなり。

排他主義こそゆえに、宗教第一の大迷大愚にして愚か者とは言うなり。
   
全てが宗教である。

と至り覚めば、宗教は宗教でなくなり、はじめて真実の宗教とかえるなり。

それこそを真理と言うのである。

一切を含み、一切となすゆえにこそ、真実の宗教と言うのであるから。            

個の形と分断の形をなす宗教はみな道これ途上のゆえに、真の宗教とはこれ至れぬなり。

それを気づかず自らを見失い、最と有頂天になるからなり。

真実の宗教とは、天地大自然と命の一切であり、全てであり、ゆえに真理とこれを言うなり。

さすれば今ある形の宗教を超えゆきて至るところにこそ、真の宗教は実と完成と至れるなり。

それはそのまま万生万人一切の、天地の宗教となるゆえに、宗教が宗教で無くなりた時こそ、真実の宗教がそこに生まれるなり。

一乗仏、一神の真理は本来それを教えているなり。

派閥のどんぶりの水はそのままにしておくと濁りて腐るゆえに、時々中を入れ替えて清めるなり。

派閥を超えたる者は、まさにその入れ替える天地の水を注ぐなり。

どんぶりの水は入れ替えないと濁り腐るが、天地をめぐる水は常に天地一如とめぐるなり。

そのどんぶりの水を、宗教の派閥世界と言うなり。


太陽の法嗣

大日 天光子

合掌