真実の宗教とは32 | 太陽王法の会


『真実の宗教とは 32』

『排他主義』


無知無明大迷なるに世界が狭く、小器蛙なるに大海これを知らずなり。

排他主義こそゆえに宗教の根本大理には反するなり。

そのような神と仏あらば、皆々我の足下の者達と申するなり。

自らの法これをよくよく正と見るがよい。

排他主義こそ無明大愚と示するなり。

人は、それこそを早く棄てよと言うなり。      

人が見えぬものが自分を語り、互いに自我と我執して、他を排して争い論じて上だ下だと慢じる。

その者達、上と下と言いて一字義もこれを知らぬなり。

自分を知らぬに、他を申するは愚かなり。

他を知らぬに論じ申すも愚かなり。

排他主義の宗教こそゆえに、天上天下の一番の迷いのものと言うなり。

そのような指導をなす者を天下第一の大愚か者と教えるなり。

真理も、宗も、法も、神も、仏も、字義も心も解らずに自我の主張は恥ずべきなり。

自他一如、これそのまま正法なるに排他主義とは読まぬなり。

なにも正しく読めぬ者に、真理は説きて語れぬなり。

宗教の者達、天上界より光明大音声、雷音とかえて、我はここに申するなり。

よく目を開きなさい。

そして大愚無明を払いゆき、真如一如を覚めゆけ。

それをなせぬ者を天上天下の無知第一とは名付けるなり。

早く覚めてひとつと至りゆけ。

天下全ての人々にこれを申するなり。

排他主義の理論をもちて宗教となす者、これ皆今だ至らぬ迷いの者なり。

真理と至らば排他主義など生まれぬなり。

ゆえにこれを無明迷いの宗教なると大音声で天上天下に申するなり。

排他主義の宗教は、自我の宗教なるに、権力等欲に落ちゆく宗教と申するなり。

それを人々は心と知れと教えるなり。       

相対一如なるゆえにこれを覚めて二元的対立を捨てて中道これと至れば、そこに正智が開くなり。

中道これをして正とし、その上でこの相対二元の世界これを生きて、正しく生きるのが道である。

そは因果二法これを正しく信じ、正しく覚めて生きれば皆そのまま当たり前にして善と生きる大切を知れるなり。

ゆえにその生き方こそ天と住する道の生き方と言うなり。

これを知らしむる為に神仏は、八正道とこれを説き、六波羅密行とこれを説きゆき、道を示して与えるなり。

人々よ、自然中道にして無為なる善、これと至れば、そのまま成仏、天神への道と言うなり。

ゆえに道と覚めて実と生きなさいと教えるなり。

相対一如ゆえ、二元的対立これをなすは皆、真の中道これを知らず、また真の宗教真理今だ至らぬ者とこれを教えてあらわすなり。

光と影、善と悪と例えてこれを写せば、光これ善なりて、悪これ影なり。

しかるに影みなこれ光の影ゆえに最後はみな光と帰るなり。

ゆえに因果二法は成り立つなり。

これみな、光と帰さん正なる働きなると知る事なり。

因果二法は、純然となして、そこに楽と幸せへの道、苦なる道これを教えて、全てを光と帰すと教えるなり。               

暗きにありて人これを恐れて怖く思うは不思議なり。

その身と心の不思議またそのまま法とはこれを説くるなり。

それ身と心の法と申して、それを与えて教えるなり。

無明すなわち明かりを無くして無知迷いと生きるはこれ、真に恐ろしきゆえにしてよく光明智慧と覚めて暮らしなさい。

人、その暗きより明るきところと至ると皆安心して、ホット心が落ちつくなり。

その身と心の教える不思議な法を、よくよく実と聞きなさいと教えるなり。

赤鬼は注意となして地獄の相を教えるなり。

その注意のあとに青鬼、正しき道とそれを示して、正しく道と歩くを教えるなり。

これ交差点にある信号に示して法とあらわし説きゆくなり。  


太陽の法嗣

大日 天光子

合掌