真実の宗教とは30 | 太陽王法の会


『真実の宗教とは 30』


一両の宗これあまねく汲むをかなわず、あまねく救うをまたかなわぬなり。

一日の羅(連ねる世界)これ一尾の魚これを得れずに、真如はあまねく無量の羅をば連ねるなり。

その一法一法、法鏡は、あまねく救く心理究竟の大方便真実大道なると申すなり。

すなわち、その大元にして一切を、真の宗と申して申するなり。

教とは宗の下に連なる羅なり。

ゆえに仏教は、宗の下に示す教なりて、神教また宗の下に示する教なりて、一切またこれ宗の下に示する教と申すなり。

ゆえに宗の使い方を知らぬ者は、これを逆さまになして気づかぬなり。
 
キリスト教、イスラム教、ヒンドゥ一教、イスラム教、神教、仏教、道教、儒教、神道教、各々教団教みな宗の下なるひとつとなして、本来そこと連なるなり。

仏教とはその意なりて、宗の傘下となして連なるなり。

それを個々に分断して仏教の下にありて宗を名乗りて宗を知らぬ迷いと落ちるなり。

ゆえに宗の大意と覚めて実と至れと言うなり。

この一切を傘下とおさめて一つになす、大宇宙大法界、大一乗を真の宗と言うなり。

宗とはゆえに真理真如とこれを言うなり。

その内に全てを包みて示す一切これを宗の世界と言うなり。

更に申せば、示とは神の祭壇にして、神一如と示す神なりて一切なると教えるなり。

ゆえに宗とは一神法界一切なると言うなり。

これを宗の真実、宇宙即我大一乗一義の理釈と申するなり。

宗教とは、はじめて宇宙即我と至る教えであると成り立つなり。

こことなせねば、宗の大意は正しくならぬなり。

それを知らず個人名となして宗となするは無知のあらわれなると申するなり。

それ、宇宙即我と申すれば一切分けずと平等となして、一つとなせと言うなり。

我はゆえにその宗の教えを開きて全ての迷いをここに示してはらすなり。

宗とは一神宇宙即我、大法界なると知る事なり。

ゆえに全ての教、仏教、神教、道教、儒教、神道、あらゆる教団一切、はたまた、世界の一切の教学、一切の一切としてのあらわれ、文字一字に至るまで、みなみな宗の傘下となりておさまるなり。

ゆえに宗の極みの教えとひとつになりて成り立つなり。

それこそを宗教の宗教とこれを申せるなり。

宗教とはゆえに、汝等万民一人一人全てを含めた一切宇宙と申するなり。

ゆえに宇宙即我大法界、真理の教えとこれを言えるなり。

『衆生至れぬその道、道と示すはなんの道、一切済度の道ならば、衆生全てがそのままで、至り至れずなんとなす。
衆生離れて我はなく、我を離れて衆生なく、ともにひとつの道となす。
衆生の暮らし超えゆきて、暮らする聖清けれど、衆生離れて一人ゆき、救いの道を忘れるは、真の道にあらざるに、衆生とひとつ暮らしゆき、同じ営み営みて、全ての道を開きゆく。
密と一乗示しゆき、一切済度と生きゆきて、衆生と共に道と成し、笑顔とひとつ分けあって、ともにひとつの道とゆく。
宗教家なれば、それを心と、刻み生きよと、教えるなり。』

『我も衆生一切も、皆、太陽と一つに生きて大日如来と生まれなさい。』


太陽の法嗣

大日 天光子

合掌