真実の宗教とは16 | 太陽王法の会


『真実の宗教とは 16』


『宗』は大元の0としての大いなる一なり。

その大いなる0としての一が全てを生じるなり。

元に宇宙原理として、創造識を生じ、創造を生じ形成識を生み、形成を生じ、形成は維持・保存を生じ、破壊・再生の原理を生んだのである。

言語は初めに『あ』を生じ、『い・う・え・お』を生じ、それを母音として子音をそれぞれ生じたのであり、そこに名が生まれ、言葉、言語が成り、会話が生じ、認識が成り、思考が成ってゆきたのである。

そこに五大、五行を生み示し、太陽宇宙と合わせて、それを合わせ鏡としてこの地球天地大自然に写し生命に写したのである。

人間の命の中にもその宇宙が写されているのである。

神性・仏性としての魂を中心の太陽として、その命を月と示して、合わせ鏡、大円鏡智とし、五智を教えたのである。

法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智がその五智の教えである。

この天地大自然と命に見れば、肉体は地であり土であり、水は命に大切な液体であり、火は熱体であり、風は気体であり、空体を一つにして五大の理を教え、水・金・土・火・木として五行を教え、その巡りによって全てが成ることを教えているなり。

その『あ・い・う・え・お』の言語ありて五識十識を生み、十波羅密、『壇・戒・忍辱・精進・禅・慧・方便・願・力・智』を生み教え、十地、『歓喜地・離垢地・発光地・焔慧地・難勝地・現前地・遠行地・不動地・善慧地・法雲地』と示し教え、五識、十識を生み、十如是を生み教え、全ての円輪円教を教え、大いなる一義の悟りと至らしめる道の修行を教えるなり。

大いなる大元の0が一々の一を生みその一を正と教え全ての五教を生み、世界と命と命の道が成るのである。

一を正と教えているのは正月を一月と教える事に表され、その0としての一を『あ』と示し、そこに名や言語や、認識がなっているのである。

その『あ』をして『主』と教えるのは、『メシア』の、『メシ一』を救世と教え、その『あ』を主と教える事に意味があるなり。

さればその『あ』たる主、元の創造において創造識があり、それを創造する者があるのは当然であろう。

その創造主を神と言うのである。

それゆえにその主を大いなる神と言うなり。

この天地大自然と命の世界はそこに成り、その全ての中に秘めてある真理と真実の世界を真の『宗』と言うのである。

宗のウカンムリは太陽宇宙の屋根であり、その内にして示される『示』は神であり、その命の世界の一切である。

ゆえに『宗』は神の命にして一切であり、その示す真理、原理、全ての全てが『宗』なのであり、その全ての世界、そこに示す一切を宗と言うのである。

その『宗』によって一切の道が示され、一切の教えが示されるのが、その『教』なのである。

この大いなる0としての一が教え説かれるのが『真の宗教』なのである。

釈迦仏の釈迦とは悉くはかりて道と加えると読むのである。

その釈氏として道と教え加えるゆえに釈迦と名付けているのである。

この天地宇宙大自然に示される全ての姿もそこに命の道を教える宗である。

そこに自らの命を写して見て気づき覚め、悟るのが宗教の肝心なのである。

その道において0から一と進みて一円と悟り、大いなる一たる、大いなる0と悟り第一義諦、一乗と生まれた者を無上大覚者と言い、毘盧遮那遍一切処と完成誕生した真の仏陀と言うのである。

ここと至らぬ者達が自らを仏陀だの、メシアだのと申して人々から金集めをしたり、物を高く売ったりしている宗教を名乗る者達はみな真理も真実も知らないで自ら達の地獄を生み、他をも地獄に落とす者達と言うなり。

宗教の真の道と命の道を覚め、真実の宗教を知りなさいと教えるのである。

自らの命を悟り、道と覚めて人間形成し、生まれる真実の道こそ覚め、悟りなさいとゆえにここに示し教えて真の宗教を教えるなり。

大いなる0としての大無、そこから成る一切を悟りて自らの命を知る事です。

一輪の花とてその姿をして命の道を教えてくれているのですから、『真の宗』を説いたら無量無尽、とあるのですから、平和とは戦争をして得るものではない。

平等、平らかにして、大調和するから成るのである。

これさえ読めない者達が真の宗教を理解できず人々を騙す世界を生んでいるのである。

人々よ、その命と命の道を知り、決して騙されてはならない。

真の悟りを完成した者の宗教はそんな小さな欲深き世界は無いのであるから、全ての世界に神の教えなきものは無いのであり、小さな教えを宗教と思わず自己をこそ覚め悟り光と生まれなさい。

その為に私は万教と説いているのですから。


太陽の法嗣

大日 天光子

合掌