『真実の宗教とは 11』
神、示し申するに、此の岸を此岸と言い、中道と渡り彼の岸を彼岸と言うなり。
冬の厚着を脱ぎて、春の衣を明るく着るが如くをゆえに此岸、彼岸と言うが如しなり。
また夏にひかえて知恵の水を蓄えて、夏を迎えるを此岸と言い、秋の実りを得て天地を紅葉と彩どる、これを彼岸と示し申して、春の彼岸と秋の彼岸を教え示す、これも神の示し申する心と命と命の道の教えなり!
神はこの天地大自然をして、あらゆる所に教えを示し申するなり!
これを全ての中に見て、知恵と選べる者は幸いなり!
空を見て美しい青空を心と命と道に見て、その空に雲が生まれて、その雲が闇雲であったり、雨雲であったり、白雲であったり、いかにどんな雲が現れても、雲は流れて形を変えてゆく、即ち、一切は空(くう)なりと教え、色即是空・空即是色をそこに教え、その空の上なる青空は本来のこだわり、執着を捨てた心と命と命の道を示すなり!
人々は家で、会社で、あらゆる所で小さなこだわり、執着を持って生きている!
権力欲、名誉欲、金欲、財欲、物欲、みなこの世だけの物、一番大切な心、命を忘れて闇と迷いの中に暮らしている!
死して帰るに裸なるを忘れて暮らしている!
何が一番大切か、その心と命と、命の向かう道を忘れて、闇の中に迷い暮らしている!
小さな執着の中にいる自分が解らず、帰るべき世界があるを知らず、迷いに迷いて、命に気づかず、心を忘れて、道さえ誰も真実のところを気づかず暮らしている!
ゆえに一切は空なりと教え、命の帰るべき世界を教え、色即是空・空即是色を教えているのである。
早く気づきなさい!
覚めなさい!
覚め開眼して悟りなさい!
その為に神は命の道を示し申してくれているのである。
悟り開眼する神秘不可思議なる導きの世界は実在するのであるから。
生死の世界も実在し、この世から見れば生の世界も、その死への扉を開ければ、その世界も生の世界と変わるなり!
それも心と命の世界の道を示し申しているなり!
神は生は死と帰り、その死は生と
帰るを教え、生の扉を開ければ死があり、その死は生となりて生まれるを教えるなり!
それが生死の世界で、生死生を教えているなり。
この世、あの世は一にして、命の道を教えるなり。
その為に、気づき覚めの悟りへの道を教えているのである。
神秘不可思議、真理真実の道を教えるのはその為にあるなり!
真の仏陀はそれを釈し説き、神へと至る道を説くなり。
その悟りは一乗仏と至り、無上最上義と極めるをその到達点と教えるなり!
一切の法と一切の教えはその為にあるなり。
一義教と極める、そこにおいて真の一を知り、平和と平等と一切の一を極めて、真の一たる正法を極めゆくのである。
その太陽の法たる阿毘羅吽欠たる法に気づいて、それこそが『日の国の日の法』として示されるのである。
これを救世の法と教えるのである。
太陽宇宙の主にして一なる神をゆえに示し申すのであり、ゆえに古来より大日如来をして、マハ一・ヴァイローチャナと言い、太陽宇宙の中心たる太陽神と教えて、そこと至る道を説くのである。
太陽に一如と至り、最上なる正法と説き釈する命と生まれるを教え示すのである。
ゆえに最とは文字に示して、天に日を一と取ると示し申するのである。
それゆえ大日如来をして、太陽神と至りて一なる道を説く者と教えるなり!
一切の一、それが解らず、真の悟りの極めが解らぬも当然である!
その真理真実が解せぬも当然である。
ゆえに私は『あ・阿・A』と説いて『全』と説き無量無尽と示して真の一を説くと言うのである。
これが解らず救世主だの、メシアだの、仏陀だの名乗りて物を売りつけたり、金銭を騙し取ったりする者達は実のところは何も知らない者達と言うなり!
真の宗教家はそんな馬鹿げた事は無きと証明するなり!
ゆえによく真理真実と道理を見なさいと教えるなり。
オ一ン・アビラウンケン
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌