『真実の宗教とは 12』
この世にある全ての宗教界よ、よく聞きなさい。
真理真実の道は一つであると知るならば、それを全ての衆生に説きて教えなさい!
全てが一つになれば世界は進化し大きく変われるのである。
過去にノストラダムスが予言した事が真実となるのである。
『偉大なる救世の法は、日の国の日の法によって保持されるであろう!』
即ち、太陽主の説く教えを説く者が生まれて、それを説く時に世界も変わって、全てが成就するであろうと言う予言が真実のものと成ると示しているのである。
宗教界よ、よく考えなさい!
ここに真理と言う山があるとしよう!
その真理真実の心の扉を開き悟りて、その山を登りて無上最上天を極めた人がいるとします!
その一の頂から見れば、その山に登って来る世界がよく見えるのである。
登り道は沢山あるも、その一つの山に登りていない者達にはそれが解せないのである!
海側から来る者達、砂漠の側から来る者達、闇と迷いて来る者達、みなその登っている自分達が解らないのである。
ただ真実と知りてその頂を気づきた者にしか、その真理真実は解せないのである。
まず上(神)を求めて、菩提を実と極めた者にしか、その神秘真実の世界のある事に気づかないからである。
まず上(神)を求めてその頂たる菩提を得ること、上求菩提を得て、智恵と得た者にしか解らないので
ある!
そのゆえにそれを教えて一切に気づきと覚めを与えんとするのである!
それが、下化衆生と言うのである。
そのうえに一切を救い導かんと言う心が生まれるのである。
この道を実と覚め悟りた者にしか、この心は理解しがたいのである。
全ての衆生はこの大いなる道を登って来ているのである。
この事実を知れば、真の悟りへの心と命の道が理解できて全てが真理、神が理解出来るのである。
よいかな、古代ピラミット王の道も、エホバの神、ヤハウェ神の道も日本神道の天照の神の道も、ヒンドゥ教の神々の道も、イスラ一ムの神、アラ一神の道も、イエスキリスト教の道も、ダビデ王の道も、仏教の道、華厳経、阿含経、法華経、涅槃経の道も、阿弥陀念仏の教えも、妙法蓮華経、題目の道も、禅法の道も、真言の法の道も、全てみな一つの頂を目指す道なのである。
全てが太陽主を目指す日の法の世界なのである。
太陽宇宙の中心たる日輪を頂と目指す法と道の教えなのである。
それが合わせ鏡の法であり、五智の大円鏡智の教えなのである。
寺に示す卍もまた、太陽日輪を転じる印なのであり、ヤハゥエ神の印も同じである。
十字架についているイエスの姿も、ピラミットの印も、ア(日)ラ一(月)の名も、ア一(日)メン(自己)と一切の聖霊と全ても、神器の意味も、みな太陽主日輪の法と道の教えなのである。
ゆえに日の国の日の法が説かれた時、救世の教えが保持されると示されたのである。
その真理の山の頂点を極めて、その世界の実存在を全てに説くと示されたのである。
この天地大自然と命とに説かれるは全て真実なのである。
太陽宇宙の全てをして、神はそれを私に示されたのである!
ゆえに無知で何も知らなかった私が万教と説く者として生まれ得たのである。
ゆえに、全ての世界にそれを与えんと成すのである。
元の『あ・ア・A』無くして何が生まれるか!
その『あ・ア・A・阿』を説けば一切と成るのである。
その元を0とし、マイナス一を示し、プラス一を示せば、元の0は無限大、無量大の元である。
原理と示すも、元は創造の神の原理である。
創造の原理は、その創造を成す存在が無くしてそれが出来ますか。
そこに元の神を見る、それが当たり前の道理である。
命に与えられた道を見る力、智恵もその道において与えられたのである。
この当たり前の道理に気づけばその心と命の道もまた理解出来るのである。
これを全ての人類が理解できれば全てが変わり、進化進歩も実と成るのである。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌