『真実の宗教とは 10』
太陽を中心とする宇宙は太陽なり!
それを写したは地球天地大自然と命の全てなり!
されば『宗』の屋根の下は『示』なり!
神を示し申すと表し、その太陽宇宙と地球天地大自然と命の示し申するを『神』と言うなり。
即ち一切をまた『神』と教えるなり。
『神なるがゆえに』八百万・千万とも言うなり!
されば神の示し申するとは何、全てなり!
例えば信号機に、赤と黄色と青を示すがそれなり!
赤は、危ないから渡るなと教え、青は横道と断って、横断歩道を正しく歩み進みなさいと教え、中心に黄色を示して、止まれ、進めを注意して見なさいと中心を示しているのである。
青を水、青鬼と見て、赤を火、赤鬼と見て、黄色を神、仏と見る!
または閻魔大王と見れば、そこに示し申する命の道が読めるなり。
例えばまた、入浴に見れば、水と冷たければ入浴にならず!
火と熱ければまた入れず、適度になるゆえに調度浴入れるなり。
そこに中道を教えているなり!
されば心はどうであろうか!
これも中道を教え、心の大切を中道と教えているのである。
また橋を渡るに、端を渡らず、真ん中を渡りなさいと教えるのも、中道を渡りゆきなさいと教えるのである。
例えばまた、雑巾で示せば、綺麗な布をもって、自らの身を汚しても、拭いて、拭いて他を綺麗に掃除する、そしてその布を洗い流して、また掃除して、綺麗になるまで、掃除を繰り返す、その雑巾は汚いだろうか、ここにも心と命の教えがある。
このような心と命をして菩薩の心、命と見るを雑巾が教えているのである。
また、割り箸を見れば、まず二つに割る!
それが善悪であり、陰陽であり、愛憎であり、全ての相対を示しているのである!
然るに例えば、善悪を教え示せば、悪は、悪いことは止めなさいと教えるのであり、善はより善を目指して大善を生みなさいと教え、更に、全有無悪、悪因悪果・善因善果を教えて、善を目指して生きなさいと教えるのである。
即ち善悪一如の一を教えているのである!
ゆえに一+一+一は三であり、三は三としての一であり、どこまでいっても、一は一であり、ゆえに一を正と示し、正月を一月とも教えるのである。
その一を五角と示せば、更に広がるのである。
五画を示せば、五智、五仏、他に沢山あるのであり、その正にして一の教えを、阿毘羅吽欠と言い、これを無上最上義と教えるなり!
妙法蓮華経もまた最後には一乗仏、大乗仏と至りて極まるのである。
神の示し申する教えとは一切であり、この天地大自然と心と命と、命の道を説くなり。
これを説けば、広大無尽とあり、一切と成るのである。
周りの一切を見てみなさい!
そこを知れば、気づきを得て、覚め、悟る事ができるのである。
『気づきなさい!
覚めなさい!
そして一と悟り、正と正しく悟りなさい!
神は全てに教えを秘めて、示し申するのですから!』
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌